福岡県が就学前の子ども向けに制作したワンヘルス絵本が、県議会で議論になりました。
絵本は8100部で、経費は約730万円。単純に部数で割ると、1部あたり約901円です。
県が公開している絵本本体のPDFは表紙を含めて5ページです。描かれているのは、土、水、植物、動物がつながる生態系の循環であり、「なぜ県独自のワンヘルス教材として制作する必要があったのか」という疑問は残ります。
この記事では、福岡県のワンヘルス教育の全体像と予算、幼児向け絵本の内容、契約先、制作チームに参加した企業・団体との関係を、公表資料から整理します。
福岡県のワンヘルス教育とは
ワンヘルスは、人の健康、動物の健康、環境の健全性を一体のものとして考える理念です。
福岡県では、この理念を行政施策だけでなく学校教育にも取り入れてきました。
県議会の公表資料によると、2020年9月と12月の県議会で、自民党県議団の代表質問を受けたことが施策化の契機の一つです。県教育委員会は2021年7月、小学生、中学生、高校生向けの啓発資料を作成しました。
その後は、モデル校での授業、教員向け資料、外部講師の派遣、私立高校への助成、大学での講座、特別支援学校向け教材へと対象を拡大。2025年度には、幼稚園や保育所などの就学前教育にも本格的に広げました。
福岡県のワンヘルス教育は、一冊の絵本だけでなく、幼児期から大学までをつなぐ事業として組み立てられています。
| 対象 | 主な取り組み |
|---|---|
| 幼稚園・保育所など | 幼児向け絵本、副読本、教職員向け研修 |
| 公立小中高校 | 発達段階別の教材、授業実践、モデル校事業 |
| 私立小中学校 | 専門家派遣、教員向けセミナー |
| 私立高校 | 専門家派遣、取り組みを促す補助制度 |
| 特別支援学校 | 読み上げ動画、独自教材、外部講師、モデル校でのカリキュラム開発 |
| 大学 | 講義・啓発動画などによる理解促進 |
つまり、今回の絵本は単発の広報物ではなく、県が進める教育体系の「入口」に位置づけられた教材です。
さらに、県のワンヘルス政策は教育分野にとどまりません。みやま市では総事業費約200億円の福岡県ワンヘルスセンターが計画され、筑後広域公園には約3億5000万円のワンヘルス・モニュメントが整備されました。福岡市には県の支援を受けるFAVAワンヘルス福岡オフィスも置かれています。教育事業は、こうした広い政策群の一部として見る必要があります。
ワンヘルス教育の予算はいくらか
2025年度の県当初予算資料には、「幼児期から学齢期におけるワンヘルス教育」として1203万円が計上されています。内容は、幼児向け絵本の作成、保育所・幼稚園の教職員向け研修、私立小中学校への専門家派遣などです。
これとは別に、特別支援学校における教材開発や外部講師の活用、ドッグセラピーの効果検証などに475万円が計上されました。
また、部局別の資料では「私立学校等ワンヘルス教育推進費」を1172万3000円とし、私立高校523万8000円、私立小中学校297万8000円、就学前教育350万7000円という内訳を示しています。
資料ごとに事業の括り方が異なるため、これらをすべて別事業として単純に合算することはできません。しかし、ワンヘルス教育が複数の部局・学校種にまたがる予算事業であることは分かります。
2026年度の予算調製資料では、「ワンヘルス教育推進費」は総額4059万9000円。前年度の4344万4000円から284万5000円減っています。
| 2026年度の内訳 | 予算額 |
|---|---|
| 私立高校 | 838万2000円 |
| 大学 | 1410万2000円 |
| 就学前教育 | 234万6000円 |
| 私立小中学校 | 469万1000円 |
| 小中学校と農業高校の連携 | 321万8000円 |
| 実践事例の共有・普及 | 297万9000円 |
| 農業高校などの先進的取り組み | 198万9000円 |
| 特別支援学校 | 289万2000円 |
| 合計 | 4059万9000円 |
この金額は予算額であり、実際の執行額とは区別する必要があります。それでも、県がワンヘルス教育を毎年度、数千万円規模で展開していることは確認できます。
教育費を含む福岡県のワンヘルス関連予算が、ほかの自治体と比べてどのような規模なのかは、ワンヘルス条例がある福岡県と徳島県の予算比較で検証しています。
幼児向け絵本は8100部で約730万円
2026年10月8日の福岡県議会決算特別委員会で、公明党の大塚勝利県議が幼児向け絵本について質問しました。
県の答弁では、絵本の作成部数は8100部、経費は約730万円です。県内の保育所や幼稚園などに配布されました。
約730万円を8100部で割ると、1部あたり約901円です。
ただし、これは事業費を発行部数で割った参考値であり、純粋な印刷単価ではありません。公開された副読本には、制作チームによる企画、編集、執筆、デザインなどがあったことも記されています。
一方、県が公表した特命随意契約の一覧では、「幼稚園・保育所等ワンヘルス教育推進事業業務委託」の契約額は689万円。契約日は2025年7月18日、契約先は公益社団法人福岡県獣医師会です。
議会答弁の「約730万円」と契約一覧の「689万円」には差があります。公開資料だけでは、その差が何の経費によるものかまでは確認できません。また、689万円の全額が絵本本体だけに使われたと断定することもできません。
絵本の中身は何か|5ページで描く土・水・森の循環
絵本の正式な表題は『ワンヘルスは ちきゅうのあいことば みんなつながっている』です。
県が公開しているPDFは表紙を含めて5ページ。ぶなちゃんとだんごくんが生き物を探しながら、自然界のつながりを見ていく構成です。
| ページ | 描かれる内容 |
|---|---|
| 表紙 | ぶなちゃんとだんごくんが「いきものさがし」に出発 |
| 土 | ダンゴムシやミミズが食べ、排せつ物が土を豊かにし、野菜や花が育つ |
| 水 | 水草が魚に隠れ家と空気を与え、貝やエビが水をきれいにする |
| 森・植物 | 太陽の下で木や花が育ち、動物や風が種を運ぶ |
| 結び | 土、水、空気、太陽、生き物はすべてつながり、その合言葉がワンヘルスだと伝える |
内容を平たく言えば、食物連鎖に、分解、水質浄化、種子散布を加えた「生態系の循環」の話です。
自然や生き物への関心を育てる幼児教材として不自然な内容ではありません。ただし、絵本本体では、人の健康、動物の健康、環境の健全性がどのように関係するのかを詳しく説明しているわけではなく、最後に自然界のつながりを「ワンヘルス」という言葉に結びつけています。
また、絵本とは別に8ページの副読本があります。副読本では、自然への愛着を意味する「バイオフィリア」という考え方や、散歩、食事、植物栽培といった園での日常活動をワンヘルスにつなげる方法が紹介されています。
したがって、事業を評価する際は5ページの絵本だけでなく、副読本や研修も含めて見る必要があります。それでも、中心となる学習内容が従来の環境教育、自然体験、食育と大きく重なることは否定できません。
なぜ県独自の絵本が必要だったのか
県は発案の経緯について、保育の現場から「園での体験活動がワンヘルスの理念につながっており、それを子どもに伝える分かりやすい教材が必要だ」という声があったと説明しました。
これに対し、大塚県議は、すでに世の中には優れた絵本が多数あり、発達段階に応じた推薦図書を紹介する方法もあったのではないかと指摘。県独自で制作する必要性と経費の妥当性を問いただしました。
ここが、この事業を検証する中心です。
自然界のつながりを幼児に伝えること自体には教育的な意味があります。しかし、既存の絵本や環境教育教材では足りず、県独自の「ワンヘルス」ブランドを冠した教材が必要だった理由は、公開資料だけでは十分に示されていません。
少なくとも、次の点を県は説明する必要があります。
- 既存教材と比較して、県独自教材でなければ達成できない学習目標は何か
- 絵本、副読本、研修にそれぞれいくらかかったのか
- 教材の利用状況と、子どもや教職員にどのような変化があったのか
- 配布部数ではなく、教育効果をどの指標で検証するのか
契約先は福岡県獣医師会|特命随意契約の理由
県が業務を委託した相手は、公益社団法人福岡県獣医師会です。
契約方法は競争入札ではなく、特命随意契約でした。
県は選定理由として、獣医師会がワンヘルスの専門的知見を持ち、これまで県教育委員会と小学生、中学生、高校生向けの啓発資料を共同制作してきた実績があることを挙げています。そのうえで、専門性と教材制作のノウハウを併せ持つ相手はほかにないと判断しました。
福岡県獣医師会、日本獣医師会、FAVAへとワンヘルスの取り組みが広がった経緯は、蔵内勇夫氏の獣医師としての経歴をたどると、そのつながりが見えやすくなります。
この説明から分かるのは、今回の事業が新しい事業者を公募して比較したものではなく、従来からワンヘルス教育を担ってきた獣医師会に継続して委ねられたということです。
福岡県でワンヘルスが県政と獣医師組織をまたぐ政策へ広がった過程では、県議と獣医師会幹部を長く兼ねた蔵内勇夫氏の存在も欠かせません。県議会で築いた影響力とワンヘルス政策との関係は、蔵内勇夫とは何者か|福岡県議会の重鎮、ワンヘルス、海外視察問題までで詳しく整理しています。
それ自体が不適切だったと断定できる資料はありません。ただし、特命随意契約である以上、「専門性がある」という説明だけでなく、なぜほかの出版社、教育事業者、大学などでは実施できなかったのか、価格をどのように検証したのかを、より具体的に示す必要があります。
制作チームに入った関係企業・団体
副読本には、大学教員、保育・教育関係者、福岡県医師会、福岡県獣医師会、NPO、企業、県職員などからなる制作チームが掲載されています。
このうち、複数の企業・団体は、今回の絵本以前から福岡県のワンヘルス施策に関わっていました。
| 企業・団体 | 制作チームの記載 | 公表資料で確認できるワンヘルスとの関係 |
|---|---|---|
| 公益社団法人福岡県獣医師会 | 副会長2人が参加 | 今回事業の契約先。過去にも県教育委員会と発達段階別教材を制作 |
| 一般社団法人ワン・ヘルス・クリエイツ | 理事長・芝田良倫氏 | 法人目的にワンヘルスの普及・教育を掲げ、私立高校への専門家派遣にも参加。絵本完成後の2026年7月に解散会社公告 |
| 株式会社アウルズ | 大畑祥子氏 | ワンヘルス国際フォーラムの運営、ロゴ制作、公式サイト運営などに関与 |
| シロクマ企画室 | 鈴木ジロー氏 | イベント、動画、デザインなどを通じたワンヘルスの広報支援を実施 |
| 株式会社フリーランス | 後藤暢子氏 | 制作チームへの参加は確認できるが、それ以外の役割や契約関係は公開資料では確認できない |
このほか、福岡教育大学、中村学園大学、福岡こども短期大学の教員、福岡県医師会、NPO法人なども参加しています。
ただし、制作チームのメンバーが記載されていることと、各社に個別の委託料が支払われたことは別です。公表資料で確認できる契約先は福岡県獣医師会です。獣医師会から各企業・団体にどのような業務が発注され、いくら支払われたのかは、公開資料からは分かりません。また、各メンバーを誰が、どの基準で選んだのかも確認できません。
ただ、県のワンヘルス関連事業に継続して関わってきた団体・企業が、幼児向け教材の制作にも参加しているという構造は確認できます。
県政、獣医師会、FAVA、ワンヘルス関連法人がどの時期に設立され、蔵内氏がどの役職に就いたのかは、蔵内勇夫氏とワンヘルス関連団体の関係で時系列にまとめています。
ワン・ヘルス・クリエイツは絵本完成後に解散
ワン・ヘルス・クリエイツは、絵本完成後に解散しています。
絵本が完成したのは2026年3月です。その後、同年7月30日付の「解散会社公告」に一般社団法人ワン・ヘルス・クリエイツの名称が掲載されました。
一方、法人番号データベースや福岡県の「ワンヘルス宣言事業者」ページには、現在も同法人の名称、筑後市大字津島503番地3の所在地、電話番号が残っています。
さらに、同じ筑後市大字津島503番地3には、法人番号が異なる「一般社団法人ワンヘルス・ワンライフ」があります。この法人は2026年5月14日、「一般社団法人良縁」から現在の名称へ変更すると同時に、福岡市東区から同住所へ移転しました。
ワンヘルスを題材とした映画「ワンヘルス ワンライフ(仮)」の事務局電話番号は0942-48-1489で、県がワン・ヘルス・クリエイツの連絡先として掲載している番号と同じです。
同じ住所、近い名称、同じ電話番号が使われていることから、活動の一部に連続性がある可能性はあります。ただし、両者は別の法人番号を持つ法人であり、事業を正式に承継したと明記する公表資料は確認できません。
県が公表した映画の作品概要では、ワン・ヘルス・クリエイツ理事長だった芝田良倫氏がプロデューサーに名を連ねています。その後、映画は『ONE いのちめぐる物語』へ改題されました。映画の制作体制、改題の経緯、現在の撮影計画はこちらで整理しています。
問われているのは理念ではなく教育としての付加価値
今回の絵本に描かれた、土、水、植物、動物のつながりを学ぶこと自体は、幼児教育として不自然ではありません。
問題は、それをあえて県独自の「ワンヘルス教育」として制度化し、福岡県獣医師会への特命随意契約で教材を作り、すでに県のワンヘルス推進事業に関わってきた団体・企業を制作チームに置く必要が、どこまであったのかです。
県は議会で、ワンヘルス教育の名称、今回の絵本を含む教材、指導内容について、県教育委員会主催の委員会で協議すると説明しました。
これは教育分野だけの動きではありません。服部誠太郎知事はワンヘルス施策全体をゼロベースで見直す方針を示しています。何が凍結され、何が継続しているのかは別の記事で整理しています。
見直しで問われるべきなのは、ワンヘルスという理念に賛成か反対かではありません。
既存の環境教育や食育に何を付け加えたのか。約730万円で、どのような教育効果が得られたのか。教材の制作体制と価格は妥当だったのか。この3点です。
「ワンヘルスという言葉を何人が知ったか」だけでは、教育事業の成果を測ったことにはなりません。子どもの理解や行動にどのような変化が生まれ、それが費用に見合ったものだったのかまで示して、初めて県民は事業の必要性を判断できます。
まとめ
福岡県のワンヘルス教育は、2021年の児童・生徒向け資料から始まり、現在は幼児、特別支援学校、私立学校、大学まで広がっています。2026年度の関連教育予算は4059万9000円です。
その入口として作られた幼児向け絵本は8100部、経費は約730万円。公開PDFは表紙を含めて5ページで、内容は主に生態系の循環を描いたものです。別に8ページの副読本もあります。
契約先は福岡県獣医師会で、契約額689万円の特命随意契約でした。制作には、これまで県のワンヘルス事業に関わってきたワン・ヘルス・クリエイツ、アウルズ、シロクマ企画室なども参加しています。
現時点で、不正な支出や不適切な選定があったと断定できる資料はありません。一方で、県独自教材の必要性、積算の内訳、制作メンバーの選定基準、教育効果の検証方法について、県の説明が十分とは言えません。
県が示すべきなのは「理念は正しい」という説明の繰り返しではなく、既存の教育では得られなかった成果と、その成果に見合う費用です。
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