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蔵内勇夫の獣医師としての経歴|なぜ日本人初の世界獣医師会長になれたのか

なぜ蔵内勇夫は世界獣医師会会長になったのか まちと政治
この記事は約11分で読めます。

福岡県議会議員の蔵内勇夫氏には、もう一つ大きな肩書があります。

世界獣医師会(WVA)会長です。

2024年に日本人として初めて世界獣医師会の次期会長に選出され、2026年4月から会長に就任しました。世界獣医師会の公式サイトでも、現在のPresidentとして蔵内氏が掲載されています。

ところが、蔵内氏の経歴をたどると、一つの疑問が浮かびます。

蔵内氏は獣医学部を卒業して獣医師となっていますが、公開されている略歴を見る限り、臨床獣医師として働いた期間はそれほど長くありません。

では、なぜ蔵内氏は、日本人として初めて世界獣医師会のトップまで上り詰めることができたのでしょうか。

その歩みを追うと、動物病院などで診療を続ける臨床獣医師とは異なる、もう一つの長い「獣医師としてのキャリア」が見えてきます。

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蔵内勇夫の獣医師・獣医師会での歩み

まず、蔵内氏の獣医師としての出発点から世界獣医師会長までを時系列で整理します。

主な動き
1979年日本大学農獣医学部獣医学科を卒業、臨床獣医師となる
1980年国会議員秘書となる
1980年代動物愛護運動に取り組む
1986年福岡県動物福祉協会の設立に参加
1987年福岡県議会議員に初当選
1993年福岡県獣医師会長に就任
1996年日本獣医師会理事
2005年日本獣医師会副会長
2013年日本獣医師会長に就任
2013年日本医師会との連携を進める
2015年世界獣医師会・世界医師会のワンヘルス国際会議に参加
2016年北九州市でワンヘルス国際会議が開催され、「福岡宣言」を採択
2019年アジア獣医師会連合(FAVA)次期会長に決定
2022年FAVA会長に就任
2023年世界獣医師会からワンヘルス特別賞
2024年世界獣医師会次期会長に選出
2026年世界獣医師会長に就任

こうして並べてみると、臨床獣医師から突然、世界獣医師会長になったわけではないことがわかります。

その間には、40年以上にわたる別の道のりがありました。

臨床獣医師として確認できる経歴は長くない

蔵内氏は1979年、日本大学農獣医学部獣医学科を卒業しました。

卒業後の1979年4月から臨床獣医師となりますが、公開されている本人の略歴では、1980年7月には国会議員秘書へ転じています。

単純に時系列を追えば、臨床獣医師として記載されている期間は約1年3カ月です。

ただし、これはあくまで公開されている略歴から確認できる範囲です。その後、一度も診療などに携わらなかったとまで断定することはできません。

それでも、一般的に想像する「長年、動物病院などで診療を続けてきた獣医師」という経歴とはかなり異なります。

この時期の蔵内氏は、まだ「蔵内勇夫」として政治の世界に入る前の段階です。

蔵内家に入り、国会議員秘書となる以前の山口勇夫氏については、こちらの記事で詳しく整理しています。

関連記事:山口勇夫とは何者だったのか|蔵内家に入る前の経歴

臨床を離れても動物の世界から離れたわけではなかった

では、蔵内氏は臨床獣医師を離れたあと、獣医師としての活動から遠ざかったのでしょうか。

実際にはそうではありませんでした。

蔵内氏自身が、日本獣医師会長就任後に自身の活動の原点として語っているのが、動物愛護運動です。

蔵内氏によると、日本大学卒業後、麻生太郎氏の母である麻生和子氏にあいさつへ行った際、「福岡、そして九州で動物愛護運動を起こしなさい」という趣旨の助言を受けたといいます。

蔵内氏は、この言葉をきっかけとして福岡で動物愛護運動に取り組むようになったと振り返っています。

しかし、この時期は、まだ蔵内家に入り国会議員秘書となる以前とみられます。

では、山口勇夫氏はなぜ、大学卒業直後に麻生和子氏へ直接あいさつに行くほどの接点を持っていたのでしょうか。

麻生和子氏は麻生太郎氏の母で、吉田茂元首相の娘でもあります。普通の獣医学部卒業生が卒業後に気軽に挨拶へ行く相手ではありません。

現在確認できる資料では、その経緯までは明らかになっていません。

ただし、蔵内家と麻生家との接点は、この時期だけに限りません。

麻生家と蔵内家の関係を含め、蔵内家が福岡の政治や実業界とどのようにつながってきたのかについては、こちらの記事で詳しく整理しています。

関連記事:蔵内家の歴史|炭鉱王・蔵内次郎作と旧蔵内邸、麻生家・自見家との接点

県議になる前から動物愛護団体で活動、理事長は麻生太郎氏

1986年には、社団法人福岡県動物福祉協会が設立されました。

現在の九州動物福祉協会の前身にあたる団体です。

蔵内氏は、自らを福岡県動物福祉協会の「創立以来のメンバー」と説明しています。翌1987年に福岡県議会議員へ初当選しているため、県議になる前からこの活動に参加していたことになります。

そして、この協会の設立時の理事長を務めたのが麻生太郎氏でした。

前述したように、蔵内氏はその少し前、日本大学卒業後に麻生太郎氏の母・麻生和子氏を訪ね、福岡や九州で動物愛護運動に取り組むよう助言されたと振り返っています。

その後、麻生太郎氏を理事長とする動物福祉団体の創設メンバーとなっていることから、蔵内氏と麻生家との接点は、県議会議員になる以前から確認できます。

さらに蔵内氏本人の回想によれば、動物愛護運動には「仲間と資金」が必要だと考え、当時の九州電力会長だった永倉三郎氏を訪ねて協力を依頼しました。

永倉氏は協会の理事となり、活動を支援したとされています。

この頃からすでに、動物に関する活動を政治家や経済界の人脈へ結び付けていく蔵内氏の動きが見えてきます。

蔵内氏と麻生太郎氏との関係は、その後の福岡県政でも続いていきます。

2011年の福岡県知事選をめぐる動きを起点に、両氏の政治的な関係についてはこちらの記事で整理しています。

関連記事:麻生太郎と蔵内勇夫の関係はどう変わったのか|2011年福岡県知事選から現在まで

1987年、福岡県議会議員になる

1987年、蔵内氏は福岡県議会議員に初当選します。

ここから蔵内氏は、

獣医師

であると同時に、

政治家

として活動することになります。

1993年、福岡県獣医師会長に就任

1993年、蔵内氏は福岡県獣医師会長に就任しました。

前任の第7代会長は関和虎氏です。

関氏は1972年から1993年まで約21年間、福岡県獣医師会長を務めました。

そして関氏もまた、獣医師であると同時に福岡県議会議員で、県議会副議長を務めた人物でした。

つまり、

獣医師+県議+福岡県獣医師会長

という三つの顔を持っていた関氏の次に、

同じく

獣医師+県議

だった蔵内氏が福岡県獣医師会長になったことになります。

関氏は1993年2月に亡くなり、その年に蔵内氏が第8代会長へ就任しています。

ただし、関氏が蔵内氏を後継者として指名した、あるいは両者に師弟関係があったことを示す資料は、現在確認できていません。

福岡県獣医師会長を20年間務める

蔵内氏は1993年から2013年まで、福岡県獣医師会長を20年間務めました。

ここで、冒頭の疑問への一つの答えが見えてきます。

臨床獣医師として公開されている経歴は長くありません。

一方で、獣医師会という組織のトップとしての経験は非常に長いのです。

蔵内氏自身も2013年、日本獣医師会長就任後の文章で「福岡県獣医師会長を20年間、日本獣医師会理事を10年間、副会長を8年間務めた」と説明しています。

福岡から日本獣医師会のトップへ

蔵内氏は福岡県獣医師会長を務めながら、日本獣医師会でも役職を重ねました。

1996年に理事となり、その後、副会長を経て、2013年6月に第12代日本獣医師会長へ就任します。

地方獣医師会で20年間会長を務め、日本獣医師会でも長期間にわたり理事、副会長を経験したうえでの会長就任でした。

蔵内勇夫の「政治力」は獣医師会でも強みと見られていた

蔵内氏の経歴を考えるうえで、もう一つ無視できないのが政治家としての経験です。

県議会議員として長く活動し、福岡県政や自民党、国政政治家との人脈を持っていました。

日本獣医師会側でも、この政治的な経験が蔵内氏の特徴の一つとして認識されていました。

日本獣医師政治連盟の関係者は、蔵内氏の地方政治での経験や、麻生太郎氏をはじめとする政治家との関係に触れながら、政治力を発揮できる環境について説明しています。

ただし、これは「政治力だけで日本獣医師会長になった」という意味ではありません。

少なくとも、獣医師会内部でも蔵内氏の政治経験や人脈が、組織にとって一つの強みとして認識されていたことは読み取れます。

蔵内氏の政治的な人脈は、麻生太郎氏との関係だけではありません。

筑後地方の保守政治を長く支えた古賀誠氏とも接点があり、2016年の福岡6区補選などでは、その関係がより具体的に表れています。

蔵内氏が福岡県政だけでなく国政政治家ともどのようにつながってきたのかについては、こちらの記事で詳しく整理しています。

関連記事:古賀誠と蔵内勇夫の接点|筑後保守政治に見える県政の力

ワンヘルスが世界への道になる

日本獣医師会長となった蔵内氏が力を入れたテーマの一つが、ワンヘルスでした。

ワンヘルスとは、人の健康、動物の健康、環境の健全性を一体として考える考え方です。

2013年には日本医師会との連携を進めています。

そして2015年、スペイン・マドリードで開催された世界獣医師会と世界医師会によるワンヘルス国際会議へ参加。

翌2016年には、第2回世界獣医師会・世界医師会ワンヘルス国際会議が北九州市で開催されました。

ここで世界獣医師会、世界医師会、日本医師会、日本獣医師会の4団体による「福岡宣言」が採択されています。

日本獣医師会の資料では、前年のマドリード会議で日本医師会と日本獣医師会の連携が評価されたことが、日本開催につながったとされています。

ここから、蔵内氏の活動は福岡、日本だけでなく国際的なものへ変わっていきます。

蔵内氏のワンヘルスへの関わりは、日本獣医師会だけに限りません。

福岡県内外には、蔵内氏が役職などで関係するワンヘルス関連団体が複数あります。

それぞれの団体の役割や蔵内氏との関係については、こちらの記事で一覧にして整理しています。

関連記事:蔵内勇夫が関係するワンヘルス関連団体一覧

福岡からアジアへ

次に進んだのが、アジア獣医師会連合(FAVA)です。

2019年、フィリピンで開催されたFAVA代表者会議で、日本はFAVA大会の福岡開催に立候補しました。

審議の結果、全会一致で日本開催が決定。

同時に、蔵内氏がFAVA次期会長として副会長に就任することも決まりました。

2022年11月、福岡市で開かれたFAVA代表者会議で蔵内氏はFAVA会長へ就任しました。

福岡で開催されたFAVA大会では「アジアワンヘルス福岡宣言2022」も採択されています。

福岡で進めてきたワンヘルスが、日本からアジアへ広がっていった時期と見ることができます。

福岡には現在、FAVAワンヘルス福岡オフィスが置かれ、蔵内氏はその所長を務めています。福岡県による支援やオフィスの役割については、こちらの記事で詳しく整理しています。

関連記事:FAVAワンヘルス福岡オフィスとは|福岡県の支援と蔵内勇夫所長の役割

アジアから世界獣医師会へ

2023年には、世界獣医師会から蔵内氏にワンヘルス特別賞が贈られました。

世界獣医師会は、蔵内氏個人と福岡県によるワンヘルスの具体化への取り組みを評価しています。

そして2024年、世界獣医師会の選挙で次期会長に選出されました。

日本獣医師会によると、日本人が世界獣医師会の次期会長に選ばれたのは初めてです。

2026年4月、蔵内氏は世界獣医師会長へ就任しました。

福岡県議だった獣医師が、福岡県獣医師会、日本獣医師会、アジア獣医師会連合を経て、世界獣医師会のトップまで到達したことになります。

なぜ蔵内勇夫は世界獣医師会長になれたのか

ここまでの経歴を振り返ると、「なぜ臨床経験が長くない蔵内勇夫氏が世界獣医師会長になれたのか」という疑問への答えが少し見えてきます。

蔵内氏には、公開されている略歴上、長期間にわたる臨床獣医師としての経歴はありません。

しかし、その一方で、

福岡での動物愛護運動、福岡県獣医師会長としての20年間、日本獣医師会での理事・副会長・会長経験、県議としての政治・行政との関係、日本医師会との連携、ワンヘルスの推進、FAVAでの国際活動。

こうした経験を何十年にもわたって積み上げています。

つまり、蔵内氏の場合、臨床獣医師としての経験よりも、獣医師という資格を基盤として組織を運営し、政治、行政、医療、国際社会を結び付けてきた経験が大きかったと見ることができます。

世界獣医師会は「世界一の臨床獣医師」を決める組織ではない

そして、もう一つ理解しておく必要があります。

そもそも世界獣医師会は、動物の診療技術を競い、「世界で最も優秀な臨床獣医師」を決める組織ではありません。

日本獣医師会が紹介する世界獣医師会の目的を見ると、世界の獣医師専門職をまとめ、その地位や利益を守ること、動物衛生、動物福祉、公衆衛生、環境保全、食品安全への貢献を高めること、さらに国際的な専門組織との連携を進めることなどが掲げられています。

そう考えると、世界獣医師会長に求められるものも、臨床技術だけではありません。

各国の獣医師組織との関係、組織運営、政策課題への対応、国際機関との調整、獣医師界を代表して社会へ発信する力も重要になります。

この視点に立てば、蔵内氏が世界獣医師会長になった経緯は、それほど不思議なものではなくなります。

蔵内氏の世界獣医師会長への道は、診察室で臨床経験を積み重ねた先にあったのではありません。

動物愛護運動から始まり、福岡県獣医師会、県政、日本獣医師会、ワンヘルス、FAVAへと活動の範囲を広げ、その延長線上に世界獣医師会がありました。

蔵内勇夫氏を「獣医師」と見るべきなのか、「政治家」と見るべきなのか。

おそらく、そのどちらか一方だけでは、この人物が世界獣医師会長まで進んだ理由を十分には説明できないのでしょう。

ただし、ワンヘルスをめぐっては、その理念や国際的な取り組みとは別に、福岡県が関連事業へどのように予算を使うのかという点についても議論があります。

県営筑後広域公園には、ワンヘルスを象徴するモニュメントなどが整備されています。その内容や事業費については、こちらの記事で現地の様子も含めて整理しています。

また、福岡県ではワンヘルスセンターの整備も進められています。施設の役割だけでなく、整備費や国・県の関わりについてはこちらの記事で詳しく紹介しています。

世界獣医師会長まで進んだ蔵内氏の歩みを見ると、獣医師会だけでなく、県政、国政、ワンヘルス政策など、複数の領域が重なっていることがわかります。

では、蔵内勇夫氏とは、そもそもどのような人物なのでしょうか。

政治家としての経歴や福岡県政での役割、人脈、ワンヘルスとの関係などを含めた全体像については、こちらの記事で整理しています。

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