宗像大社は、裏伊勢と呼ばれるほど、古代日本のなかで重要な神社になっています。
2017年には、世界文化遺産にも登録されました。
今回は、そんな宗像大社を、古代からの歴史と写真を中心にまとめてみました。
遠方の方で九州まで行けない方も、これを見れば行った気になれること間違いありません。
それでは、早速、宗像大社を見てみましょう。
宗像大社とは
まずはじめに宗像大社の場所や歴史などを簡単に記しておきます。
辺津宮(宗像大社)
〒811-3505 福岡県宗像市田島2331という住所になります。
一般的に宗像大社(辺津宮)といえば、上記の場所になります。
ちなみに地図の右上が小倉、左下が博多です。
ちょうど小倉と博多の中間あたりに位置しています。
以前、当サイトで紹介した志賀島は左下あたりに位置しています。
中津宮
沖津島
もう少し詳しく見てみましょう。
沖ノ島(沖津宮)とは
前述したように、宗像大社の中で、信仰上もそうですが、古代史的に最重要ポイントになっているのは、沖ノ島だろうと思います。
大島(中津宮)には人が住んでいますが、沖ノ島(沖津宮)には人は住んでいません。
沖ノ島にまつわるエピソード
以下、沖ノ島にまつわるエピソードを列挙します。
・現在でも、神職1人が10日交替で沖ノ島に滞在しています。
・宗像の漁民の方は、昔から沖ノ島のことを御不言様(おいわずさま)と呼んでおり、島のことを語ってはいけないというタブーがあったそうです。
・古代から現在まで、沖ノ島は女人禁制となっています。
・現地大祭や豊漁祈願で宗像漁民が沖ノ島に入るときは、全裸となり海中で禊(みそぎ)をしなければ島へは入れません。
・1954年からの10年以上の発掘調査で、沖ノ島全体が4世紀~8世紀頃までの祭祀場跡であることが判明しています。
・2003年に追加調査が行われ、沖ノ島からは4世紀~10世紀頃までの、青銅鏡、勾玉、純金の指輪など、約十万点にのぼる貴重な宝物が見つかり、そのうち八万点が国宝に指定されたことにより、「海の正倉院」とも呼ばれています。
宗像大社と朝鮮半島(任那)の関係
下記を見てもらえばわかりますが、宗像三女神が鎮座する場所を繋げると、一直線に朝鮮半島の釜山につながります。
釜山から赤い直線上に、見事に、沖ノ島(沖津宮)、大島(中津宮)、宗像大社(辺津宮)が位置していることがわかると思います。
韓国南部は、古代では伽耶(かや)もしくは加羅(から)や任那(にまな)と呼ばれていまして、日本府があったとされるほど古代日本とかなり深い関係があった場所になります。
朝鮮半島と直線状に結ばれる宗像地方は、そういう意味で、裏伊勢と呼ばれヤマト王権(大和朝廷)から重宝されていたのではないかと思われます。
宗像三女神とは
宗像大社の祭神は、田心姫(たごりひめ)、湍津姫神(たぎつひめ)、市杵島姫(いちきしまひめ)の三女神となっています。
三女神は、どこにいるのでしょうか。
市杵島姫
一般的に宗像大社と呼ばれている辺津宮には、市杵島姫が鎮座しています。
湍津姫神
大島の中津宮に、湍津姫神が鎮座しています。
田心姫
沖ノ島の沖津宮に、田心姫が鎮座しています。
日本三貴(むち)神社
宗像三女神は、古事記などでは天照大神(もしくはスナノオ)の子どもとなっています。
ただ古事記は史実を織り交ぜた作り話ですから、実際のところはわかりません。
大体、地元の神と繋げたパターンだろうと思います。
ですから、もともと九州もしくは西日本全域で信奉されていた宗像地方の神を天皇一族の血筋を引いた娘とした可能性もあります。
ただこの宗像大社が、かなり重要な神社であることは、貴(むち)という称号から想像できます。
数ある神のなかでも貴(むち)という最上級の称号を得ているのは、伊勢神宮の天照大神、出雲大社の大国主命、そして宗像大社の三女神だけです。
宇佐神宮から宗像大社に?
大分県の宇佐市に全国八幡神社の総本宮・宇佐神宮があります。
道鏡のご託宣(宇佐八幡宮神託事件)などもあり古代日本史の謎を探る時にかなりのキーポイントになる神社ですが、こちらに主神として祭られている神も宗像三女神とされています。
実は、日本書紀によると、宗像三女神は沖ノ島に移る前に宇佐(嶋)にあったと記述されているのです。
正直、これも記述だけでは、本当に宇佐が先なのか、やはり宗像が先なのかという断定はできないだろうと思います。
当時、内政において何らかの理由で絶大な力を持っていた宇佐神宮に対して(格付け向上の意味での)大和朝廷からの配慮があったかもしれません。
しかし、本当に記述どおりだったとしたら?
宇佐神宮と邪馬台国
もしかしたら邪馬台国に結びつくかもしれません。
宇佐神宮も三宮から成っていますが、一の宮と三の宮を応神天皇と神功皇后に挟まれた二の宮に祭られている(宗像三女神とされている)比売大神(ひめのおおかみ)こそが地元の神という信仰を宇佐の人は現在も持ち続けています。
現在70歳くらいになる女性が子どもの頃から「左右の天皇と皇后はどうでもいいから、地元の神である真ん中の二の宮(比売大神)だけお参りすればいい」と親から教わっていたとのことです。
そして、実は、この神こそが、卑弥呼の娘とよではないかという説があります。
もしそうであるなら、宗像三女神=「とよ」ということにもなりますから、宇佐(大分)=邪馬台国という可能性があるかもしれません。
古代から、大分県の地は、豊(とよ)の国と呼ばれていました。
現在も大分県のことを豊(とよ)の国と言っていますし、豊後や豊前などの地名も豊(とよ)の国に対しての前後の位置関係になります。
最上級の貴(むち)の称号を得ている意味も卑弥呼との関係性から考えれば納得できます。
宗像大社(辺津宮)写真集
それでは、遅くなりましたが、宗像大社を写真で見ていきましょう。
入り口から順番に掲載していきます。
説明書きの看板などで興味がある部分がありましたら、写真を拡大して読んでみてくださいね。
注意書き
史跡宗像大社境内説明
門
皇族下乗
御神木
本殿・拝殿説明
末社由緒説明
もう1つの御神木
第二宮・第三宮説明
伊勢神宮と宗像大社説明
沖ノ島と高宮祭場説明
降臨の地
最後に
そして現在のように参拝しやすいように、九州本島内の宗像大社(辺津宮)に、全ての祭神を集約したのだろうと思われます。
ちなみに大社というのは出雲大社だけのはずだが・・・と不思議に思った古代史好きの方もいると思います。
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