佐賀県にあります吉野ヶ里歴史公園へ行ってきました。
弥生時代の集落跡である吉野ヶ里遺跡を公園として開放している場所になります。
何らかのきっかけで古代史や邪馬台国に興味を持ちはじめた方が、一番最初に思い浮かべる、ある意味象徴的な目に見える弥生時代の遺跡ではないかと思います。
今回は、そんな吉野ヶ里歴史公園を数点の写真と共に紹介したいと思います。
吉野ヶ里遺跡(吉野ヶ里歴史公園)とは
簡単にいうと、佐賀県にあります弥生時代の大規模な集落跡になります。
地図
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にあります。
現在でも比較的有明海に近い場所になりますが、縄文時代から弥生時代までは、さらに海面上昇があり、吉野ヶ里遺跡から2~3kmくらいの距離に有明海があったと推定されています。
アクセス
電車では、長崎本線・JR吉野ヶ里公園駅下車で徒歩15分ほどになります。
また吉野ヶ里公園駅北口から平日のみコミュニティバスが運行しています。(料金は1乗車100円です。)
車で行かれる方で、高速道路を利用した場合は、長崎自動車道東脊振I.Cで下り、385号線を南へ向かって5分とのことです。
発掘経緯
1970年代、県立高校の移転などを計画した際、広範囲に渡って出土品が出てきて、1度断念していた経緯があったそうです。
その後、1980年代に入り、今度は企業誘致の為に吉野ヶ里丘陵南部に工場団地の開発を計画した際、1986年、約59ヘクタールもの広範囲に遺跡が広がっていることが判明したという経緯があったそうです。
さらに、1989年になり、考古学者や県や市民団体による啓発活動が高まりを見せ、大々的な報道が始まったことで、同年3月に県は遺跡と重複する地域の開発を中止したとのことです。
邪馬台国論争
発掘されたすぐの頃は、吉野ヶ里が邪馬台国ではないかという意見も高まりました。
当時、そういう報道を見ていまして、「あー卑弥呼の邪馬台国の場所わかったんだあ。凄いなあ」と何となく思ったものでした。
そもそも邪馬台国論争の発端になったのは、2008年に吉永小百合さん主演で映画化されたことでも有名な宮崎康平さんの「まぼろしの邪馬台国」という著書だろうと思います。
上記、映画を観たり本を読んだ方ならわかると思いますが、宮崎康平さんは目が見えないなかで妻の助けを借りて、邪馬台国を探した情熱的な方です。
「まぼろしの邪馬台国」は、1965年から九州の伝統的な文芸同人誌「九州文学」で連載していたものを、1967年講談社から出版した本になります。
この本をきっかけに、学者ではない一般人の間に邪馬台国論争を巻き起こしたとされています。
そういう意味で、かなり意味ある書籍だろうと思います。
ただ残念ながら、吉野ヶ里遺跡が発掘される前、1980年に亡くなられています。
写真でつづる吉野ヶ里歴史公園
吉野ヶ里歴史公園にあります弥生時代の面影を見ていきましょう。
最後に
吉野ヶ里歴史公園(吉野ヶ里遺跡)はいかがだったでしょうか。
発掘当初の報道とは異なり、現在、吉野ヶ里に関しては、邪馬台国ではなく、弥生時代の1つのクニだろうという見方が定着しているようですが、本当のところはわかりません。
邪馬台国には色々な説があって、近畿、九州、四国、沖縄、はじめからそんな国はないなど十人十色、百花繚乱です。
真相はともかく、吉野ヶ里歴史公園(吉野ヶ里遺跡)は、大きな広場もありますし、子どもが遊べる遊具もあります。
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