福岡県議会の井上忠敏氏は、どのような政治家なのでしょうか。
井上氏は、小郡市・三井郡選挙区から選出された7期目の県議です。古賀誠元自民党幹事長の公設第一秘書を長く務め、1999年に県議へ転じました。2015年には第65代福岡県議会議長に就任し、その後は自民党籍を持ちながら別会派の緑友会を率い、2023年の県議選後に自民党県議団へ戻っています。
国会議員秘書、県議会議長、少数会派の会長、自民党県議団の一員という経歴をたどると、井上氏の特徴は、表立って政策論争を主導する政治家というより、国政と県政、会派と会派、人と人の間をつなぐ「調整型」の政治家にあると見えてきます。
一方、会派再編の舞台裏や、2026年に県議会を揺らした採決での行動には、公開情報だけでは分からない部分も残ります。本稿では、公式記録で確認できる事実と、関係者が公表した証言を分けながら、井上氏の政治経歴と県議会内での位置を整理します。
井上忠敏氏のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 井上忠敏(いのうえ・ただとし) |
| 生年月日 | 1947年2月4日 |
| 出身地 | 福岡県小郡市福童 |
| 選挙区 | 小郡市・三井郡 |
| 当選回数 | 7回 |
| 現在の会派 | 自民党県議団 |
| 主な経歴 | 古賀誠衆院議員公設第一秘書、第65代福岡県議会議長、緑友会福岡県議団会長 |
| 現在の委員会 | 建築都市委員会、国際化・多文化共生社会調査特別委員会 |
井上氏は1947年、小郡市福童に生まれました。福岡県立明善高校を1965年に卒業し、1969年に福岡大学法学部法律学科を卒業しています。
大学卒業後は博多東急ホテルに勤務しました。政治の世界に入ったのは1980年です。当時の福岡県知事・亀井光氏の後援会「明豊会」に入り、1983年まで活動しました。
その後、衆議院議員だった古賀誠氏の事務所へ移ります。井上氏自身の経歴によると、1983年8月から1998年12月まで古賀事務所に勤務し、1984年8月から1996年10月までは公設第一秘書を務めました。
県議になるまでに、県知事後援会と国会議員事務所の両方を経験したことになります。この経歴は、井上氏の政治家としての立ち位置を理解するうえで重要です。
古賀誠氏の公設第一秘書から県議へ
古賀誠氏は旧福岡3区、のちの福岡7区を地盤とし、自民党幹事長などを務めた国政政治家です。井上氏は、その古賀氏を地元で支える秘書として約15年間働きました。
公設第一秘書は、日程管理や陳情対応だけを担う役職ではありません。選挙区内の首長、地方議員、業界団体、後援会との連絡を取り、国と地域の要望をつなぐ役割を担います。
井上氏が県議転身後も、政策の発信だけでなく、議員間や団体間の調整に重きを置いてきたとみられる背景には、この秘書経験があります。
筑後地方の保守政治における古賀氏と蔵内勇夫氏の関係については、関連記事「古賀誠と蔵内勇夫の関係」でも整理しています。
1999年に初当選、7回当選(3回は無投票)の選挙記録
井上氏は1999年4月11日の福岡県議選で初当選しました。以来、2023年まで7回連続で当選しています。
選挙歴を一覧にすると、次のようになります。
| 選挙年 | 結果 | 得票・状況 |
|---|---|---|
| 1999年 | 初当選 | 選挙戦 |
| 2003年 | 2選 | 25,447票、得票率77.1% |
| 2007年 | 3選 | 無投票 |
| 2011年 | 4選 | 無投票 |
| 2015年 | 5選 | 無投票 |
| 2019年 | 6選 | 16,104票、618票差で当選 |
| 2023年 | 7選 | 10,686票、3候補中1位 |
7回の当選のうち、2007年、2011年、2015年の3回は無投票でした。
ただし、直近2回はいずれも選挙戦です。定数1だった2019年は、井上氏16,104票、横尾政則氏15,486票で、差は618票でした。2023年には選挙区定数が1から2へ増え、井上氏は3候補中1位で当選しています。
3回の無投票当選と、2019年の接戦。この両方を見ることで、井上氏が長年にわたり強い組織基盤を持つ一方、選挙区の情勢変化と無縁ではなかったことが分かります。
現在の筑後地方選出県議と各議員の選挙記録は「筑後地方の現職県議一覧」にまとめています。
2015年、第65代福岡県議会議長に就任
5期目の2015年5月14日、井上氏は第65代福岡県議会議長に就任しました。任期は2016年5月20日までです。
議長就任時、井上氏は、知事と議会がともに住民から選ばれる二元代表制に触れ、議会による政策立案や提言の重要性を訴えました。
県議会議長は、議事を進行するだけの役職ではありません。会派間の意見を調整し、議会を代表して県内外の関係機関と接する立場です。井上氏にとって議長就任は、古賀氏の秘書出身という経歴に加え、県議会内の調整役としても評価された節目でした。
自民党の公認候補なのに、別会派「緑友会」を率いた
井上氏の経歴で分かりにくいのが、政党と会派の関係です。
井上氏は自民党の党籍を持ち、2019年と2023年の県議選にも自民党公認で立候補しました。その一方で、2018年には自民党県議団とは別の会派に所属し、緑友会・立志福岡県議団の会長を務めました。その後、2023年の改選前まで緑友会福岡県議団を率いています。
ここでいう「自民党」と「自民党県議団」は、同じものではありません。
- 政党は、選挙の公認や党組織に関わる枠組みです。
- 会派は、県議会内で議会活動をともにする議員の集団です。
したがって、自民党員でありながら、自民党県議団とは別の会派に所属することは制度上可能です。
ただし、井上氏は別会派に所属しただけではありません。会長として会派を率いました。県議会議長経験者であり、自民党県連の役職も担った人物が、議会内では自民党県議団と距離を置く会派の責任者を務めた点に、当時の福岡県議会の複雑な力関係が表れています。
2023年の自民党県議団復帰で何があったのか
2023年の県議選後、井上忠敏氏は自民党県議団へ復帰しました。
ただし、これは井上氏が一人で会派を移っただけの出来事ではありません。緑友会の議員が複数の会派へ分かれ、自民党県議団が単独過半数を確保する契機となった、大規模な会派再編の一部でした。
2018年、林裕二氏の後任として緑友会会長に
井上氏が緑友会会長に就いたのは2018年です。
当時、緑友会会長だった林裕二県議が朝倉市長選へ出馬することになり、空いた会長職を井上氏が引き継ぎました。
井上氏は自民党籍を持ち、県議会議長も経験していた人物です。その井上氏が、自民党県議団とは別の会派である緑友会の会長となりました。
当時から緑友会に所属していた神﨑聡県議は、2026年9月に公開したnoteで、井上氏について、自民党県議団から緑友会へ「派遣」されてきたような印象を持ったと振り返っています。
これは神﨑氏の受け止め方であり、井上氏が実際に何らかの指示を受けて緑友会へ移ったことが確認されているわけではありません。ただ、井上氏の会長就任後、緑友会と自民党県議団との距離が次第に近づいたというのが、神﨑氏の見方です。
4月11日には「緑友会を続ける」と確認
2023年4月9日、福岡県議選の投開票が行われました。
改選前に11人いた緑友会では、2023年県議選で現職4人が落選し、7人が議席を得ました。神﨑氏によると、このうち5人が4月11日に集まり、緑友会を続ける方針を確認しました。
翌12日の反省会でも、無所属の議員らに参加を呼びかけ、緑友会を存続させる方向で話が進められていました。
少なくとも神﨑氏は、この時点では緑友会が継続するものと理解していました。
4月13日、蔵内勇夫氏から突然の電話
ところが4月13日、状況が急変します。
神﨑氏の記憶によると、蔵内勇夫県議から電話があり、井上氏から連絡が来るため、その際に自分から自民党県議団へ入りたいと伝えるよう求められました。
前日まで緑友会を続ける話をしていた神﨑氏は、蔵内氏に緑友会がどうなるのかを尋ねました。
蔵内氏から返ってきた答えは、「緑友会は解散」というものだったといいます。
その後、井上氏から神﨑氏へ電話がありました。神﨑氏は、その際に井上氏から告げられた言葉を次のように記しています。
「神﨑さんは、自民党県議団に入る事になったばい」
神﨑氏は「そうなんですね」と答え、その流れを受け入れました。神﨑氏自身も、誰かに一方的に入れられたのではなく、最終的には自分の判断で従ったと記しています。
神﨑氏が「44人目」となり、単独過半数が成立
神﨑氏の説明によると、改選後に緑友会から自民党県議団へ移ったのは、井上忠敏氏、永川俊彦氏、江口善明氏、神﨑聡氏の4人でした。
このうち最後に神﨑氏の1議席が加わったことで、自民党県議団は44人となり、県議会で単独過半数を確保しました。
つまり、神﨑氏の移籍は、単に一人の県議が所属会派を変えたというだけではありません。自民党県議団が、他会派の協力を得なくても過半数を形成できる体制をつくる「44人目」という意味を持っていました。
その移籍を神﨑氏へ直接伝えたのが、緑友会会長だった井上氏です。
神﨑氏の証言どおりであれば、井上氏は自ら自民党県議団へ復帰しただけでなく、緑友会に所属していた議員を自民党県議団へ移す際の連絡役も担っていたことになります。
「解散」とされた緑友会は、実際には残った
ところが、蔵内氏が神﨑氏に伝えたとされる「緑友会は解散」という説明どおりにはなりませんでした。
農政連公認で当選した栗原悠次県議が緑友会に残り、その後も会派として活動を続けたためです。現在も栗原氏が会長を務める1人会派として、緑友会は福岡県議会に存在しています。
その結果、選挙前まで一つだった緑友会は、次のように組み替えられました。
- 井上忠敏氏、永川俊彦氏、江口善明氏、神﨑聡氏らは自民党県議団へ移動
- 栗原悠次氏は緑友会に残留
- 椛島徳博氏、堀大助氏らは新政会を結成
緑友会は「解散」したのではなく、所属していた議員の行き先が分かれ、会派の形が大きく組み替えられたのです。
井上氏は会派再編の連絡役だったのか
この経緯を見ると、井上氏の自民党県議団復帰は、個人的な所属変更としてだけでは捉えられません。
井上氏は2018年に林裕二氏の後任として緑友会会長となり、2023年の県議選まで会派を率いました。そして選挙後には自ら自民党県議団へ戻り、神﨑氏に移籍を伝える役割も担っています。
その結果、自民党県議団は44人となって単独過半数を確保しました。
ただし、一連の会派再編を誰が、どの範囲まで決めていたのかは明らかになっていません。電話のやり取りも、現時点では神﨑氏が2026年に公表した記憶と証言に基づくものです。
それでも、元県議会議長であり、緑友会会長だった井上氏が、蔵内氏と緑友会の議員をつなぐ位置にいたことは読み取れます。
蔵内勇夫氏との接点と「九州の自立を考える会」
井上氏の県議会内での人脈を考えるとき、蔵内勇夫氏との接点は外せません。
2019年と2020年に確認できる「九州の自立を考える会」の役員名簿では、蔵内氏が会長、井上氏が理事を務めています。同会には国会議員、県議、首長、経済人らが参加し、道州制や地方分権、九州の広域的な政策課題などを扱ってきました。
単なる参加者ではなく理事だった点から、井上氏は同会の運営側に位置していたといえます。
古賀誠氏の元秘書である井上氏と、県議会や各種団体で影響力を持ってきた蔵内氏。この二人の接点は、筑後地方の保守系政治家が、政党や会派だけでなく、政策団体や人的関係を通じても結びついてきたことを示します。
「九州の自立を考える会」と蔵内氏を中心とするネットワークは「九州の自立を考える会とは何か」で詳しく検証しています。蔵内氏の経歴全体は「蔵内勇夫とは何者か」をご覧ください。
農林業政策と小郡鳥栖南スマートIC
井上氏は初当選直後の1999年、農林水産委員会に所属しました。その後も農林業分野との関わりを続け、福岡県森林・林業・林産業活性化促進議員連盟、いわゆる林活議連で2018年に副会長、2023年に会長となっています。
2024年のインタビューでは、森林整備の財源となる森林環境税・森林環境譲与税に触れ、森林面積の大きな自治体へ、より厚く配分する必要性を訴えました。都市部だけでなく、中山間地域を含む県全体の森林政策を県政課題として位置づけています。
地元小郡では、農業の収益向上や農業法人の育成、農業機械の導入、6次産業化などを掲げてきました。
また、2019年の県議選では「味坂スマートインターチェンジ」の整備推進を訴えました。この施設は「小郡鳥栖南スマートインターチェンジ」として、2024年6月9日に開通しています。
もちろん、大型インフラは一人の議員だけで実現するものではありません。国、県、小郡市、佐賀県鳥栖市、高速道路会社など、多数の機関が関わります。そのうえで、井上氏が選挙公約の一つとして継続的に位置づけてきた地元案件であることは確認できます。
2026年、蔵内勇夫議長への辞職勧告をめぐる投票
井上氏の政治姿勢を考えるうえで、2026年8月17日の投票も記録しておく必要があります。
同日の福岡県議会では、蔵内勇夫議長に対する辞職勧告決議案を採決する予定でした。しかし、その前に「採決を中止する動議」が提出され、井上氏は採決中止に賛成しました。賛成した議員は49人でした。
ここで注意が必要なのは、井上氏が投じたのは、辞職勧告決議案そのものへの賛否ではなく、その採決を行わないよう求める動議への賛成票だったことです。
この投票によって辞職勧告決議案は採決されませんでした。井上氏がなぜ採決中止に賛成したのか、本人による詳しい説明は、確認できる公開情報の範囲では見当たりません。
元県議会議長であり、別会派を率いた経験もある井上氏が、議長の進退をめぐる局面で採決中止に賛成したことには、相応の政治的意味があります。しかし、過去の人的関係だけを根拠に投票理由を断定することはできません。
問題の経緯と採決の構造は「福岡県議会の金銭授受問題を解説」で整理しています。
井上忠敏氏は「会派をまたぐ調整型」の県議
井上氏の政治経歴を時系列で見ると、三つの特徴が浮かびます。
第一は、古賀誠氏の公設第一秘書として築いた、国政と地域を結ぶ人脈です。
第二は、県議会議長と緑友会会長を務めた、議会内の調整経験です。多数会派の要職だけでなく、自民党県議団とは別の会派を率いた経験を持ちます。
第三は、2023年の自民党県議団復帰にみられる、会派間の橋渡し役としての位置です。神﨑氏の証言を前提とすれば、井上氏は複数議員の移動にも関わる連絡役でした。
つまり井上氏は、古賀氏の秘書を出発点に、県議会の中心と周辺の両方を経験し、その間をつないできた政治家だといえます。
ただし、調整は外部から見えにくい政治行動でもあります。誰と何を調整し、どのような理由で重要な投票を選んだのか。長い経歴と役職だけでなく、節目での判断を有権者に説明することが、ベテラン県議である井上氏には求められます。
まとめ
井上忠敏氏は、小郡市福童出身の7期県議です。亀井光氏の後援会を経て古賀誠氏の公設第一秘書を務め、1999年に福岡県議へ転身しました。
県議会議長を務めた後、自民党籍を持ちながら別会派の緑友会を率い、2023年に自民党県議団へ戻りました。蔵内勇夫氏が会長を務めた「九州の自立を考える会」では理事を務め、神﨑聡氏の証言では、2023年の会派移動でも連絡役を担ったとされています。
政策面では農林業と地元インフラに継続して関わってきました。一方、2026年には蔵内氏への辞職勧告決議案の採決を中止する動議に賛成しています。
古賀誠氏の秘書、県議会議長、緑友会会長、自民党県議団への復帰。この歩みを貫くのは、組織と組織の間をつなぐ調整力です。その調整力を県民の利益へどう結びつけ、重要な判断をどこまで公開の言葉で説明するのか。それが、井上氏を評価するうえでの焦点になります。

