肥前一宮・與止日女(よどひめ)神社の歴史と現在とご利益とは

よどひめ神社拝殿 歴史(神社・古墳)
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肥前一宮である與止日女(よどひめ)神社を知っていますか?

読みは同じですが漢字の別名では淀姫神社といったり、他にも河上(かわかみ)神社とも呼ばれています。

ということで。

 

今回は、そんな肥前一宮である與止日女神社を豊富な写真と共に紹介します。

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写真でつづる與止日女(よどひめ)神社ガイド

それでは早速、與止日女神社を見ていきましょう。

アクセス

住所は、〒840-0214 佐賀県佐賀市大和町大字川上1−1です。
→詳細な地図(GoogleMap)はこちら

基本的に車で行くしかない場所です。

久留米からは高速道路(降り口:佐賀大和IC)を使えば40分程度、一般道では1時間程度となります。

駐車場

無料駐車場があります。

第一鳥居

駐車場の手前に第一鳥居があります。

よどひめ神社鳥居

よどひめ神社看板

肥前一宮・與止日女神社と書かれています。

その奥には石碑が見えます。

よどひめ猿田彦

猿田彦大神と書かれています。

第二鳥居

第一鳥居をくぐり駐車場を抜けると、第二鳥居が見えます。

 よどひめ神社第二鳥居

 

手水舎

鳥居をくぐると、左側に手水舎があります。

よどひめ手水舎

左側の手前に見える看板には手を洗う際の作法が様々な言語で書かれています。

狛犬

拝殿の方に進むと狛犬が待ち構えています。

真ん中の1対は新しめの狛犬でしたから、古そうな手前と一番奥の狛犬たちだけ撮影しました。

まずは一番手前の右側の狛犬です。

よどひめ神社狛犬1

次は左側の狛犬。

よどひめ神社狛犬2

次に拝殿手前、一番奥の右側の狛犬。

よどひめ神社狛犬3

最後に左側の狛犬。

よどひめ神社狛犬4

 

拝殿

こちらが與止日女神社の拝殿です。

よどひめ神社拝殿

よどひめ神社拝殿中

西門

本殿左手、道路側に室町時代後期に創建された西門があります。

よどひめ神社西門

よどひめ神社西門案内

末社・與止日女天満宮

境内には天満宮もあります。

よどひめ天満宮

よどひめ天満宮説明

大楠

江戸時代に落雷により倒れた大楠が鎮座しています。

よどひめ神社大楠

よどひめ神社大楠2

よどひめ神社大楠由来

 

拝殿横・本殿裏側

與止日女神社の横にはが流れています。

よどひめ神社川

本殿の裏手には川の方に出っ張った、まるで川の見張り台のようなベンチもあります。

よどひめ神社ベンチ

 

ご利益(御祭神と由緒)

それでは次に與止日女神社のご利益、御祭神、由緒を紹介します。

よどひめ神社由緒

御祭神

御祭神は與止日女命です。

與止日女命は、神功皇后の妹豊玉姫とも言われています。

由緒

欽明天皇25年(西暦564年)、創建されています。

延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した。弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた。中世以降は国衙に近い当社の実質的地位が高まり、肥前国一宮として崇敬されたという。応保年間(1161年~1163年)には肥前国一の宮になり、弘長元年(1261年)正一位を受けた。ーwikipediaより

ご利益

海の神水の神川の神として信仰されてきました。

他には農業厄除け交通安全などもあります。

さらには境内には夫婦杉があります。

夫婦杉

夫婦杉

夫婦杉説明

夫婦円満恋人、友人関係良好家内安全子孫繁栄などにもご利益があるようです。

まとめ

今回は、肥前一宮・與止日女神社を紹介しました。

・所在地:佐賀市大和町
・別名:淀姫神社、河上神社
・御祭神:與止日女命
・ご利益:海、川など水害、夫婦円満、子孫繁栄、農業、厄除け、家内安全、交通安全など

このあたり一帯は大和という地名です。

吉野ケ里遺跡もそう遠くない距離です。

 

 

どこの大和が本当の大和だったのでしょう?

 

 

さらに肥前国の一宮は他の一宮と違い、少し変わっているとも言えます。

例えば筑後一宮である高良大社など他の九州の一宮と違い、年代により一宮が移り変わってきた歴史があるのです。

 

 

実は近くに甘南備神社があり、ここがその前の肥前一宮だったと言われています。

與止日女神社が平安時代後期に肥前一宮となった理由は、この近くに肥前国庁があったからだそうですが、それだけだと甘南備神社でも問題ありません。

肥前国庁

 

 

 

 

さらにはみやき町にある千栗八幡宮にいたっては現在でも肥前一宮を自称しているのです。

 

 

想像するに当時の肥前国の豪族力関係の変遷が関係しているのかもしれません。肥前といえば高木一族です。久留米の草野町の草野氏も高木一族の出身です。

 

 

このあたりの歴史をもう少し調べたら、肥前と筑後の歴史が見えてくることでしょう。

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