久留米競輪場に行ったことがある久留米市民は、どれくらいいるでしょうか。
競輪を楽しむために、現在では競輪場まで足を運ぶ必要はありません。
スマートフォンがあれば、出走表を確認し、予想し、車券を購入し、レースを見るところまでインターネットで完結します。
筆者自身、久留米競輪場で毎年開催されるGIII「中野カップレース」を見に行ったことがあります。
S級選手が目の前を走り抜けるスピード感は、映像で見るものとは違います。競輪場まで行かなければ味わえないものが確かにあります。
しかし、観客席には空席が目立っていました。
以前、競輪好きの若い知人を誘ったこともあります。返ってきたのは、「わざわざ競輪場まで行かない。ネットで買う」という答えでした。
筆者は競輪選手の走りを生で見たいと思います。しかし、最初からインターネットで競輪に触れた人にとって、「競輪場へ行く」という行為そのものが、それほど重要ではないのかもしれません。
それでも久留米市は現在、久留米競輪場の大規模な再整備を進めています。
前回の施工予定者公募で示された工事の参考額は、126億5,335万1,700円でした。
なぜ今、これだけの費用をかけて競輪場を造り直すのでしょうか。
久留米競輪は「客が減ったのに売上が増える」時代になった
久留米市も、競輪場への来場者が減っていることは以前から把握しています。
2023年に策定された久留米競輪場再整備基本計画によると、現在の施設は来場者数がピークだった平成初期の約6,500人の滞留を想定した規模です。
一方、基本計画策定時には、1日当たりの来場者は約400人まで減少しているとして、市自身が施設規模を「過大」と評価していました。
その後、来場者はある程度回復しています。
2024年度の1日当たり本場入場者は711人でした。ただし2016年度の947人には届きません。
興味深いのは、その間に競輪事業の収入が大幅に増えていることです。
久留米市の包括外部監査によると、競輪事業収入は2016年度の約133億円から、2024年度には約348億円まで増えました。
市の監査報告は、その主な要因としてインターネット投票の増加を挙げています。
つまり、
競輪場へ来る人は以前より少ない。しかし競輪そのものは以前より売れている。
という現象が起きています。
2026年6月に開催されたGIII「第32回中野カップレース」も、4日間の売上は約63億円に達し、目標としていた60億円を上回りました。
競輪に人がいなくなったのではありません。
競輪をする人が、競輪場からスマートフォンの中へ移動しているのです。
久留米市も競輪場をコンパクトにする計画
そのため、久留米市が現在の巨大な競輪場をそのまま建て替えようとしているわけではありません。
再整備基本計画では、最初から施設のコンパクト化が大きな方針として掲げられています。
市は、来場者数の動向を踏まえて施設規模を縮小し、競輪場として必要な機能を集約する考えです。
基本計画の収支試算でも、再整備後の延床面積を現状の50%として維持管理費などを計算しています。
老朽化した巨大な施設をそのまま維持するより、小さな施設へ建て替えて維持費を減らそうという考え方です。
この方向性自体は、ネット投票が主流となった現在の競輪に合わせたものといえます。
そもそも現在の施設はかなり老朽化している
そもそも現在の施設はかなり老朽化している
もう一つ、再整備を考えるうえで無視できないのが老朽化です。
久留米競輪場には昭和40年代に建設された施設が多く残っています。
メインスタンドは1967年、第2発売所は1969年、バックスタンドは1968年、選手宿舎は1971年の完成です。
メインスタンドや第2発売所は耐震性にも問題があり、一部の観覧施設はすでに閉鎖されています。
基本計画には、コンクリートの剥離、鉄筋の露出、雨漏り、空調設備の劣化なども記録されています。
実際に競輪場を歩くと、建物の古さだけではなく、現在ではほとんど使われなくなった設備も目につきます。
その一つが、かつて女性の従事員が並び、対面で車券を販売していた発売窓口です。現在は車券の購入も払い戻しも自動発売・払戻機で行えるため、そうした窓口の多くは閉じたまま並んでいます。
老朽化しているだけではありません。
インターネット投票や自動化によって、かつて必要だった施設そのものが必要とされなくなっているのです。
久留米市が新しい競輪場をコンパクト化しようとしている背景には、こうした時代の変化もあります。
したがって、
「客が少ないのだから、このまま何もしなくてもいい」
という状況でもありません。
何らかの大規模改修か建て替えはいずれ必要になります。
問題は、その規模と費用です。
65億円だった計画が126億円規模へ
久留米競輪場再整備の費用は、最初から126億円だったわけではありません。
2023年に策定された基本計画では、概算総事業費は約65億円でした。
内訳は1期工事31億円、2期工事21億円、3期工事13億円とされていました。
その後、2022年度末時点の価格に修正した段階で、想定額は約79億円となります。
そして2026年1月に始まった施工予定者の公募では、参考額が約126億5,000万円まで上昇しました。
65億円から見れば、ほぼ2倍です。
久留米市の包括外部監査でも、建築工事費の高騰によって総事業費が大幅に増えることが予想されると指摘されていました。
もちろん、65億円と126億円はそれぞれ計画段階が異なるため、単純に「同じものが2倍になった」とは言えません。
それでも、再整備を決めた時点とは前提となる建設価格が大きく変わっていることは確かです。
126億円でも施工会社は全社辞退した
市民から見れば、126億円という金額は巨額です。
ところが施工会社側から見ると、別の景色が見えてきます。
久留米市は施工会社を公募する前の2025年、民間事業者への市場調査を行っていました。
参加した4社はいずれも事業への関心を示したものの、4社すべてが着工時期について「条件付きで対応可能」と回答しました。
また、
人員の確保
九州エリアの建設工事の繁忙
工程の見直し
アスベストや解体工事の不確定要素
競輪を開催しながら工事を行う難しさ
建設費の高騰
などについて懸念が示されていました。
実際の工事も単純な建物の新築ではありません。
メインスタンドや選手宿舎・管理棟の新築に加え、既存建物の解体や改修、電気設備、給排水、空調、外構、インフラ移設などを行います。
しかも、本場開催や場外発売を極力止めずに工事を進める「居ながら工事」です。
そして2026年5月、参加申込をしていたすべての事業者が辞退届を提出しました。
市は5月26日、プロポーザルの中止を発表しました。
辞退した各社の具体的な理由は公表されていません。
したがって「126億円では安すぎたから辞退した」と断定することはできません。
ただし、市場調査の段階から人員不足、工程、施工難度、建設費高騰が指摘されていたことを考えれば、施工会社にとって工事内容とリスクに対して条件が厳しい案件だった可能性はあります。
市民から見れば「126億円もする」。
施工会社から見れば「126億円規模でも引き受けにくい」。
このねじれこそ、現在の久留米競輪場再整備が抱えている問題なのかもしれません。
9月に再公募、施工契約は約9カ月後ろ倒し
久留米市は2026年9月28日、施工予定者の選定を改めて開始しました。
新たな予定では、施工予定者の最終決定は2027年3月下旬。
工事請負の仮契約は2028年2月、本契約は2028年3月となっています。
最初の公募では、本契約は2027年6月の予定でした。
つまり施工契約は約9カ月後ろ倒しになります。
なお、最初の公募が中止されたのは2026年5月です。
そのため、7月に発生した令和8年熊本地震が今回の公募中止や9カ月の遅れを直接引き起こしたわけではありません。
問題は熊本地震以前から起きていました。
126億円は一般会計からそのまま支出するわけではない
もう一点、整理しておく必要があります。
「久留米市が競輪場に126億円の税金を投入する」と単純に考えるのも正確ではありません。
久留米市の基本計画では、再整備費用は原則として競輪事業特別会計の施設整備基金から賄う計画とされています。
競輪事業は逆に一般会計へ収益を繰り出しており、2026年度予算では一般会計への競輪事業収入として6億円が計上されています。
久留米市にとって競輪場は、市の財政からお金を出すだけの施設ではありません。
収益を生み、市の一般財源へ戻す事業でもあります。
だからこそ再整備を続ける理由があります。
ただし、当初65億円だった再整備計画が126億円規模まで膨らんだ現在でも、当初想定していた投資効果が成立するのかは別の問題です。
基本計画では、再整備による維持管理費などの削減によって年間約1億円の効果が生まれ、その分を一般会計への繰出しに上乗せする試算も示されていました。
事業費の前提が大きく変わった以上、費用対効果も現在の金額で改めて見る必要があります。
久留米競輪場には「観客席」以外の役割もある
それでも、来場者が少ないことだけを理由に「競輪場はいらない」と結論づけるのも違うでしょう。
久留米は競輪選手を数多く輩出してきた街でもあります。
その象徴が、世界選手権プロスプリント10連覇を達成した中野浩一氏です。
現在も久留米の地元選手には、津村洸次郎、原井博斗ら男子選手のほか、ガールズケイリンでは児玉碧衣、小林優香、大久保花梨、林真奈美、長澤彩など多数の選手が登録されています。
児玉碧衣はガールズグランプリ3連覇、小林優香は東京五輪出場など、全国トップクラスで活躍してきました。
久留米競輪場は、観客が車券を買う場所であると同時に、選手が練習し、次の選手を生み出していく競技拠点でもあります。
この役割までネット投票に置き換えることはできません。
まとめ|競輪場を残すかではなく「どこまで必要なのか」
久留米競輪場の来場者は長期的に減少し、競輪の売上はインターネット投票へ大きく移りました。
久留米市自身もその変化を認識し、新しい競輪場については施設をコンパクト化する方針です。
一方、現在の施設は老朽化が著しく、そのまま使い続けることも難しくなっています。
さらに競輪事業は現在も大きな売上を生み、久留米市の一般会計にも毎年収益を還元しています。
そして久留米競輪場は、中野浩一氏から児玉碧衣、小林優香らへと続く競輪選手の練習・育成拠点でもあります。
だから、問われるべきなのは「競輪場を残すべきか、廃止すべきか」という二択ではありません。
ネット投票が主流となり、観客席が以前ほど必要とされなくなった時代に、競技と選手育成に必要な機能を残しながら、どこまで施設を小さくできるのか。
そしてもう一つ。
65億円だった計画が126億円規模になった現在でも、その投資は将来の久留米市にとって合理的なのか。
最初の施工会社公募では、その126億円規模の工事に参加した事業者がすべて辞退しました。
市民には高く見え、施工会社には厳しく見える126億円。
再公募によって工事が動き出すのか。
久留米競輪場の再整備は、建物を新しくするだけではなく、インターネット投票時代に「競輪場という場所を何のために残すのか」が問われる事業になっています。
久留米競輪場だけでなく、久留米市内では複数の再開発・再整備事業が進んでいます。
久留米の街の変化をまとめて見るなら、「久留米再開発」記事をご覧ください。
久留米競輪場の再整備は、単なる施設更新ではなく、市がどこに投資し、どの事業を将来に残すのかという市政上の判断でもあります。
久留米市政全体の動きについては、こちらの記事でまとめています。
