諏訪野町公園と道路をはさんだ場所、線路沿いの空き地のような場所に、ひっそりたたずむ記念碑があります。
木々がうっそうと生い茂っており、見えにくい場所にあります。
気づいている人がどれくらいいるのかわかりませんが、個人的にすご~く気になりました。
今回は、そんなちょっと気になったあの諏訪野町公園前の石碑について紹介します。
諏訪野町公園前の線路沿いの石碑は何⁉
国道3号線からはいってサンリブ久留米店へむかう道の途中、左手には、諏訪野町公園があります。
諏訪野町公園前の道路を挟んだ場所に、石碑があります。
左側は駐車場のようになっています。
石碑は、木々で見えにくくなっています。
ただ、遠くからでも、結構、大きくて立派な石碑な予感がします。
石碑の正体は、戦後記念碑
草が生い茂っていて、入りづらいですが、近くまで行ってみました。
大きな字で、戦後記念碑と書かれています。
上には、日清、日露、日獨と書かれています。
つまり、この石碑は、日清戦争、日露戦争、日獨戦争の戦後記念碑であることが判明しました。
日清戦争は、対中国(当時の清)、日露戦争は対ロシア、そして日獨戦争は、第一次大戦での日英同盟での対ドイツ戦争ということになります。
左には、陸軍・柴勝三郎・書と書かれています。
柴勝三郎さんは、1915年(大正4年)6月4日 から1919年(大正8年)の7月25日までの4年間、第18師団長を務めた方になります。
戦後記念碑の裏側には、戦没者なのでしょうか、ぎっしりと氏名が並んでいます。
建立日は、大正4年11月10日となっています。
建立者は、中村正兵衛と書かれています。
諏訪野町公園内の第十八師団記念碑
前述の諏訪野町公園の記事でも書きましたが、諏訪野町公園内にも、似たような記念碑があります。
第十八師団の記念碑になります。
諏訪野町公園内の記念碑の書は、陸軍中将・金谷範三と書かれています。
金谷範三さんもまた、柴勝三郎さんのあと、1922年(大正11年)8月15日 から 1925年(大正14年)5月1日まで、第十八師団長を務めた方になります。
まとめ
諏訪野町公園の道路を挟んだ向かい側にひっそりとたたずむ石碑は、日清・日露・日獨戦後記念碑でした。
諏訪野町公園内にある第18師団記念碑と共に、久留米で編成された日本陸軍最強・第十八師団と関係が深い石碑であることがわかりました。
何気ない久留米の風景の中にも、今でも戦争の面影が残っています。
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