御塚古墳と権現塚古墳は、福岡県久留米市大善寺に折り重なるように並んだ2つの古墳になります。
御塚古墳が前方後円墳であり、権現塚古墳は円墳になります。
今回は、そんな隣接する2つの古墳・御塚古墳と権現塚古墳を写真と共に紹介したいと思います。
御塚古墳と権現塚古墳
5世紀末~6世紀前半に造られたものと推測されています。
古代豪族・水沼君一族の墓とされています。
アクセス
福岡県久留米市大善寺にあります。
西鉄の大善寺駅と津福駅のちょうど中間あたりに位置しています。
県道23号線沿いにあります。
駐車場・トイレ
駐車場もあります。
トイレも完備してあります。
写真でつづる権現塚古墳
まずは、公園広場に入ってすぐ正面にあります権現塚古墳を紹介したいと思います。
権現塚古墳正面
権現塚古墳説明
外側の浅い溝を含むと直径は150mをこえ、九州第2位の大円墳とのことです。
主墳丘55m、高さ8mとなっています。
権現塚古墳の出土品
出土品は、円筒埴輪、形象埴輪、須恵器(新羅系のもの含む)、土師器、武人埴輪となっています。
権現塚古墳石碑
正面左に新しい石碑が建っています。
右手に古い石碑が建っています。
古い石碑の裏を見てみますと、建立日は、皇紀2600年2月11日と彫られています。
皇紀2600年は西暦1940年(昭和15年)にあたり、2月11日は建国記念日にあたります。
権現塚古墳の中
立ち入り禁止のロープが張られています。
番人が立っています。
中は、草が生い茂っています。
権現塚古墳の堀
円墳を囲むように、水をたたえた堀があります。
その周りが土手のようになっていまして、歩けるようになっています。
1周するのに、およそ10分くらいかかりました。
写真でつづる御塚古墳
次に、御塚古墳を見ていきましょう。
御塚古墳説明
前方部が短い帆立貝式前方後円墳です。
全長は、120mをこえていたそうです。
御塚古墳の出土品
権現塚古墳とほぼ同じですが、石人らしきものもあったそうです。
水沼君と筑紫君磐井との関係性も気になるところです。
御塚古墳外観
現在は、ほぼ原型がなくなっています。
最後に
御塚・権現塚古墳はいかがだったでしょうか。
久留米市の大善寺周辺には、小さな古墳が点在しています。
多分、水沼君一族のものだろうと思います。
ちなみに高良大社の祭神・玉垂命は水沼君ではないかという説もあります。
少し離れた八女には、筑紫君磐井一族の八女古墳群があります。
八女古墳群は敗者の墓(※詳細は上記岩戸山古墳の記事参照)として立ち入り自由ですが、権現塚古墳の方は、仁徳天皇稜と同じく内部調査をしておらず立ち入り禁止となっている点です。
このことから、皇紀2600年記念の石碑もありますし、水沼一族は現天皇家との関わりが深いのかもしれません。
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