これまで2回にわたり久留米から日帰りで行ける山口県萩方面のオススメスポットを紹介してきました。
今回をもって、この山口県萩市シリーズは最終回になります。
最後としてふさわしく、明治維新の生みの親と言っても過言ではない松下村塾と吉田松陰の歴史を豊富な写真とともに紹介したいと思います。
明治維新の生みの親!?松下村塾と吉田松陰ガイド
それでは、早速、松下村塾と吉田松陰を見ていきましょう。
松下村塾
松下村塾は、前回紹介した松陰神社のなかにあります。
というより、そもそもの成り立ちとしては、むしろ逆です。
まず松下村塾があり、その隣に(門下生であった伊藤博文などが)吉田松陰を祀る松陰神社を建立したという経緯があります。
松下村塾は、昔のまま現存しており、当時の様子がよくわかります。
松下村塾の看板
吉田松陰の直筆でしょうか??
かなりの達筆です。
松下村塾の石碑
『史蹟 松下村塾』と彫られています。
松下村塾の説明書き
松下村塾の説明になります。
以下に、全文引用します。
国指定史跡
松下村塾
所在地 萩市大字椿東宇新道
指定年月日 大正十一年十月十二日
説明
吉田松陰は安政四年(一八五七)実家杉家宅地内にあった小屋を改造して八畳の塾舎とし更にその翌年十畳半を増築した。
これが現在の松下村塾で、松陰二十七才の時のことである。
ここで松陰が教育した間は一年であり、実家の幽囚室時代を通算しても二年半に過ぎない。
この短い期間に、この粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘討幕運動に挺身し明治維新の原動力となった。
同志の主な者は激動期に死んで行ったが、生き残った者は維新政府の中枢に立って新しい日本を指導することになった。
萩市教育委員会
松下村塾の外観
勉強がはかどりそうな落ち着いた家になります。
松下村塾の室内
松下村塾塾生の写真が飾られています。
その他の吉田松陰にまつわるスポット
松陰神社境内には(松下村塾以外にも)たくさんの吉田松陰にまつわるものがあります。
吉田松陰幽囚の旧宅
松下村塾の隣に、吉田松陰が幽閉されていた家があります。
吉田松陰の歌
親思う こころにまさる 親ごころ
今日の音ずれ 何ときくらん
吉田松陰歴史館
歴史館に入ると、吉田松陰の人生が時系列で描かれていました。
説明文の一字一句に、吉田松陰への尊敬と愛情を感じます。
松陰だんご
名物の松陰だんごも売っています。
かなり大きめサイズの団子3兄弟ですから、腹いっぱいになることでしょう。
まとめ
今回は、久留米市から日帰りでおすすめの山口県萩市の松下村塾を紹介しました。
・松下村塾は松陰神社のなかにあります。
・同じ敷地内に、吉田松陰歴史館など吉田松陰にまつわるものがたくさんあります。
最後になりますが、吉田松陰は、幕府に捕えられ、30歳で死罪となりました。
ただ吉田松陰の思想や考え方は伊藤博文など塾生たちに引き継がれ、明治維新を成し遂げ、さらには近代国家を樹立することができました
山口県萩市に行けば、明治維新の立役者であり日本近代国家の生みの親が吉田松陰だということがよくわかることと思います。
是非、行ってみてください。
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