八女古墳群とは?石人文化と岩戸山古墳・石人山古墳を巡る筑後の古代史

八女古墳群とは 歴史と文化
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福岡県八女市から広川町にかけて広がる八女古墳群(やめこふんぐん) は、古墳時代中期から後期にかけて築かれた巨大古墳群です。

この地域には、北部九州最大の前方後円墳である岩戸山古墳を中心に、多くの古墳が集中しています。

そして八女古墳群の最大の特徴が、日本でも珍しい石人(せきじん)文化です。
武人の姿をした石像が古墳を守るように立つ姿は、筑後地方の古代文化を象徴するものといえます。

久留米ジャーナルでは、実際に八女丘陵を歩きながら、八女古墳群を巡っています。

この記事では、八女古墳群の歴史と特徴、そして実際に訪れた古墳を紹介します。

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八女古墳群とは

八女古墳群は、八女丘陵に広がる国指定史跡の古墳群です。

築造されたのは 古墳時代(5〜6世紀)
この時代、筑後地方には強い豪族勢力が存在していました。

その中心人物と考えられているのが

筑紫君磐井(つくしのきみ いわい)

です。

磐井は6世紀に起きた磐井の乱 の中心人物として知られ、岩戸山古墳はその墓と考えられています。

八女古墳群の最大の特徴「石人文化」

八女古墳群の古墳には、石で作られた人物像石人(せきじん) が配置されています。

石人には

  • 武人
  • 文官
  • 武器

などさまざまな種類があり、古墳を守る存在と考えられています。

特に有名なのが、鎧を着て矢を背負った武装石人です。

この石人文化は全国的にも珍しく、筑後地方の古墳文化を特徴づける要素となっています。

八女古墳群を巡る

久留米ジャーナルでは、実際に八女丘陵を歩きながら古墳を巡っています。

ここでは代表的な古墳を紹介します。

岩戸山古墳

北部九州最大の前方後円墳で、筑紫君磐井の墓と考えられている巨大古墳です。

石人や石馬など多くの石製遺物が出土しており、八女古墳群の中心的存在です。

岩戸山古墳の記事

石人山古墳

武装石人が立つことで知られる古墳で、名前の由来にもなっています。

古墳の主体部を守るように立つ石人像は、古代筑後の信仰や墓制を考えるうえでも興味深い存在です。

石人山古墳の記事

弘化谷古墳

八女古墳群の一つで、石室構造が特徴的な古墳です。

石人山古墳から歩いて行ける場所にあり、八女丘陵の古墳巡りのルートの一つになっています。

弘化谷古墳の記事

こふんピア広川

八女古墳群を紹介する資料館で、古墳のレプリカや出土品を見ることができます。

石人山古墳や弘化谷古墳へ向かう際の拠点としても便利です。

こふんピア広川の記事

八女丘陵に残る古代筑後の歴史

八女丘陵には、古代筑後の歴史を物語る古墳が今も数多く残っています。

巨大な前方後円墳、石人文化、そして磐井の乱。

これらの遺跡を現地で見て歩くと、古代の政治勢力の大きさを実感することができます。

久留米・筑後地方を訪れる際には、ぜひ八女古墳群を歩いてみてください。

久留米・筑後地方には、八女古墳群のほかにも古墳が点在しています。

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