先日、久留米市通外町にあります五穀神社に行ってきました。
ごこく神社といえば、一般的には、全国各地にあります英霊をまつる護国神社を思い浮かべる方が多いと思います。
しかし、久留米市民にとって、ごこく神社といえば、五穀神社を指します。
五穀神社には、江戸時代の久留米藩主と農民との和解の歴史が隠れています。
今回は、そんな五穀豊穣を願った感動のドラマが隠されている五穀神社について紹介します。
写真でつづる五穀神社ガイド
それでは、五穀神社を見ていきましょう。
アクセス
住所は、〒830-0005 福岡県久留米市通外町58になります。
最寄り駅は、西鉄久留米駅になります。
西鉄久留米駅から、徒歩で10分程度の場所にあります。
第一鳥居
五穀神社の第一鳥居は、道路(国道322号)に面した場所にあります。
道路標識もありますから、すぐにわかると思います。
第二鳥居
ちょっと入ると、次に、縄を張っただけの鳥居があります。
宗像大社内にもありましたが、もともと古代の神社は、麻縄で結界をはって神域としていました。
結界とは、ざっくりいうと、神域と世間との境界線のことになります。
陰陽師という映画にも、結界をはるシーンが出てきます。
五穀神社とからくり儀右衛門
中に入ると、すぐに、『五穀神社とからくり儀右衛門』と題された案内板があります。
からくり儀右衛門とは、東芝の創業者・田中久重さんのことになります。
田中久重さんの銅像が、五穀神社の横に建っています。
田中久重さんは、通町に生まれ、幼い時から発明家であったそうです。
五穀神社の祭りでは、水からくりなどの新しい仕掛けを考案していたそうです。
久留米藩に勤めていましたが、明治6年に上京、明治8年に東芝の基礎となった芝浦製作所を創立しました。
石灯籠
第二鳥居を入ってすぐに、両脇に石灯籠があります。
五穀神社由緒
さらに奥に進むと、五穀神社の由緒が書かれた案内板があります。
ちょっとだけ引用します。
御祭神:豊宇気比売神
(相殿)稲次因幡正誠公
御創立:西暦1749年
記:豊受気比売神は五穀を司り給う神にして伊勢神宮の外宮の御分霊であり、稲次因幡公は享保13年久留米藩農民騒擾に際して、その解決に一身を捧げた功績を敬慕して相殿される。
神殿は大庄屋中より、拝殿は惣御郡中より寄進し、社地は藩主有馬頼徸公の寄進するところである。
五穀神社の石橋
五穀神社内には、石橋があります。
説明には、五穀神社の石橋の材料と、五穀神社が辿ってきた変遷について書かれています。
狛犬
五穀神社には、キレイな狛犬がいます。
本殿
賽銭箱には、久留米藩主・有馬家の家紋があります。
ちなみに草野町の須佐能袁神社の賽銭箱も同じ有馬家の家紋です。
秋葉神社
本殿の裏に、秋葉神社があります。
天満神社
本殿向かって右手に、天満神社があります。
五穀猫
境内には、カワイイ猫がいます。
まとめ
今回は、写真と共に、久留米市通外町・五穀神社を紹介しました。
五穀神社は、江戸時代に建立されています。
古代からある高良大社とは違い、それほど歴史がある神社ではありません。
ちょっと境内が寂しい感じがするのは、明治後の神仏分離により、五穀神社境内にあった仏寺が取り壊されたことによるのかもしれません。
五穀神社建立の背景には、農民一揆(年貢の取り立てに反発した農民の要求)に、久留米藩が応じた歴史があります。
久留米藩と民の為に、五穀豊穣を願った神社、それが五穀神社なのでした。
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