久留米市長の原口新五氏。
久留米市・うきは市選挙区選出の福岡県議、原口剣生氏。
そして、2026年4月まで久留米市議を務めていた原口和人氏。
3人の父は、福岡県議会副議長を務めた原口久人氏です。
久留米の政治を調べると、同じ原口家から市議、県議、市長が長期にわたって出てきたことが分かります。さらに次の世代には、国会議員秘書として国政に接点を持った人物もいます。
では、原口家とは何なのでしょうか。
この記事では、確認できる事実を原口久人氏から現在まで並べ、久留米の市政、福岡県政、国政へ広がった原口家の政治的な系譜を整理します。
原口家の政治系譜|久人から和人・剣生・新五、そして勇人へ
原口家を、公開資料と報道から確認できる範囲でまとめると、次のようになります。
| 人物 | 原口家での関係 | 確認できる主な経歴 |
|---|---|---|
| 原口久人 | 現在たどれる起点 | 元福岡県議、第43代福岡県議会副議長 |
| 原口和人 | 久人の長男 | 久留米市議6期、緑水会議員団団長。2026年4月6日に在職中死去 |
| 原口剣生 | 久人の次男 | 久留米市議3期、福岡県議7期、第61代福岡県議会議長、元自民党福岡県連会長 |
| 原口新五 | 久人の三男 | 久留米市議8期、元久留米市議会議長、2022年から久留米市長。2026年に無投票再選 |
| 原口勇人 | 剣生の長男として紹介される人物 | 住友不動産販売を経て、2022年の著書刊行時は麻生太郎衆院議員の公設秘書 |
原口家を一つの政治組織として扱うことはできません。それぞれ別の選挙を戦い、別の公職に就いてきた人物です。
しかし、同じ家から市議、県議、市長が生まれ、国政につながる人物まで出ている事実は、久留米政治の構造を考えるうえで無視できません。
原口家の歴史は原口久人から
原口久人氏は1922年3月2日生まれです。福岡県が公開する県議選の候補者資料では、久留米市諏訪野町を住所とする自由民主党の県議として確認できます。
さらに古い記録として、1968年の参議院内閣委員会の請願文書に「自由民主党久留米支部内 原口久人外三」と記載されています。紹介議員は、旧日本海軍の軍人で、戦後は自民党参議院議員となった源田実氏でした。
この資料から、原口久人氏の名前が県議選の記録より前から自民党久留米支部に関係する国会文書に現れていることが確認できます。
福岡県議選では、少なくとも1979年から1995年まで5回続けて当選しています。
| 選挙年 | 得票・結果 |
| 1979年 | 26,617票・当選 |
| 1983年 | 22,088票・当選 |
| 1987年 | 25,359票・当選 |
| 1991年 | 無投票当選 |
| 1995年 | 13,745票・3位当選 |
1981年7月20日から1982年7月12日までは、第43代福岡県議会副議長を務めました。
1995年が、公表された選挙記録で確認できる最後の県議選です。次の1999年県議選に久人氏は立候補せず、息子の原口剣生氏が初当選しました。
父と息子の選挙記録を同じ時間軸で見たい方は、原口剣生の全県議選記録で詳しく整理しています。
政治以外で確認できる原口久人の地域活動
原口久人氏について、政治以外で確認できる数少ない記録が、社会福祉法人国分福祉会です。
福岡県の施設情報によると、国分福祉会は1977年1月5日に設立され、久留米市諏訪野町で子鳩保育園を運営しています。同法人の定款には、原口久人氏が「設立当初の役員」の一人として記載されています。役職は理事でした。
これは、国分福祉会が原口家の事業だったことを示す資料ではありません。久人氏が県議活動だけでなく、地域の社会福祉法人の設立にも関わっていた記録です。
また、諏訪野町を流れる野中川を扱った地域資料では、水路の位置を説明する目印として「原口久人氏邸前」という表現が使われています。選挙資料と地域資料の双方から、久人氏が諏訪野町を基盤としていたことが見えてきます。
原口久人より前の家系と家業は分からない
ここが、原口家の歴史を調べるうえで最大の空白です。
原口久人氏の父母、祖父母、政治家になる前の家業を具体的に示す公的資料や新聞記事は、今回確認できませんでした。
現在の久留米市立南筑高等学校の前身にあたる私立南筑中学校の元教師をめぐる回想資料には、教え子の一人として「県議原口久人氏」の名前が出てきます。久人氏が同校で学んだ可能性を示す手掛かりですが、在学期間や卒業の有無までは確認できません。
「テキ屋から政治家になった」という話は確認できるのか
原口久人氏については、地元出身者による個人ブログなどに「テキ屋の親分から政治家になった」という趣旨の記述があります。露店商をしていたという話も、インターネット上では見つかります。
しかし、新聞記事、選挙公報、議会資料、法人資料などに、その経歴を裏付ける記載は確認できませんでした。
現段階で書けるのは、「そのような記述がネット上にある」というところまでです。原口久人氏が実際にテキ屋や露店商をしていたと、確認済みの経歴として扱うことはできません。
長男・原口和人は久留米市議を6期務めた
原口和人氏は1952年4月24日生まれ。久留米市議を6期務め、緑水会議員団の団長を務めていました。
2022年には、弟の原口新五氏が市長に就任した後も市議として活動しています。同年6月の久留米市議会では、代表質問の冒頭で新五市長の就任を祝う言葉を述べました。
2026年4月6日、大動脈瘤解離のため73歳で死去しました。6期目の任期途中でした。
これにより、2026年現在の原口家は「市議・県議・市長が同時にいる」状態ではなくなりました。ただし、和人氏が20年以上にわたって久留米市議会にいたことは、原口家の政治史を考えるうえで重要です。
次男・原口剣生は県議会と自民党県連へ進んだ
原口剣生氏は1954年7月18日生まれです。
駒澤大学法学部と平岡調理師学校を卒業し、日本料理の調理師として修業しました。フグ調理師免許も取得しています。
政治家としての出発点は、1983年から1987年まで務めた父・原口久人県議の秘書です。その後、1987年に久留米市議へ初当選し、3期を務めました。
1999年に福岡県議へ初当選。2023年まで7回連続で当選し、2003年以降は6回連続で最多得票を記録しています。2011年から2012年には第61代福岡県議会議長を務め、その後は自民党県議団会長、2019年から2025年までは自民党福岡県連会長を務めました。
2025年8月には、蔵内勇夫氏に代わって「九州の自立を考える会」の第2代会長に就いています。同会には福岡県議、市町村長、企業、業界団体などが参加しており、原口剣生氏の現在の位置を県議会だけで見ることはできません。
原口氏が会長となった経緯と組織の広がりは、九州の自立を考える会とは何かで整理しています。
三男・原口新五は市議会から久留米市長へ
原口新五氏は1960年4月5日生まれです。
1989年11月に久留米市議となり、通算8期を務めました。2009年から市議会副議長、2011年から4年間は市議会議長を務めています。
途中の1999年には、市議を辞職して福岡県議選に挑戦しました。同じ久留米市選挙区には兄の剣生氏も立候補しています。剣生氏が1万5,643票で3位当選したのに対し、新五氏は1万4,474票で5位となり、当選には687票届きませんでした。
新五氏は2003年に久留米市議へ復帰し、2022年の久留米市長選で初当選しました。2026年1月の市長選ではほかに立候補者がなく、無投票で再選しています。
2026年市長選が無投票になった背景と、選挙前に打ち出された3,000円給付については、久留米市長選の無投票再選を考える記事で検証しています。
原口家は一枚岩だったのか
同じ家から複数の政治家が出ているため、原口家は一つの政治集団として見られがちです。しかし、実際の選挙をたどると、常に同じ判断をしてきたわけではありません。
1999年の県議選では、剣生氏と新五氏が同じ選挙区から同時に立候補しました。
2018年の久留米市長選では、和人市議が宮原郁生氏を、剣生県議が大久保勉氏を支持したと報じられています。兄弟で支援候補が分かれていました。
一方、2022年の市長選では剣生氏が新五氏を支援しました。その後のインタビューで剣生氏は、「剣生は剣生たい。新五は新五、和人は和人たい」と語っています。
原口家として見られる現実がある一方、本人たちはそれぞれ別の政治家として選挙と政治活動を行ってきた。この二つは、どちらか一方だけを見ても原口家の実像を捉えられません。
次の世代は国政につながった
原口剣生氏の長男として紹介されているのが、原口勇人氏です。
書籍の著者紹介によると、原口勇人氏は1984年に久留米市で生まれ、帝京大学経済学部を卒業。住友不動産販売を経て、2022年5月に著書『地方財政の構造的課題に向き合う(Amazon)』を刊行した時点では、麻生太郎衆院議員の公設秘書を務めていました。
原口久人氏から始まった政治の系譜が、市議会と県議会だけでなく、次の世代では国政の秘書へ伸びたことが確認できます。
2026年現在の原口家と久留米政治
2026年現在、原口新五氏は2期目の久留米市長です。原口剣生氏は7期目の福岡県議であり、「九州の自立を考える会」の会長を務めています。
一方、福岡県議会の正副議長人事をめぐる金銭授受疑惑では、元議長の吉松源昭県議が、当時の自民党県議団会長だった原口剣生氏に現金を渡したと証言しています。原口氏は要求と受け取りを否定しています。
証言の内容と原口氏の説明は、福岡県議会の金銭授受疑惑を整理した記事で時系列にまとめています。
これは原口剣生氏をめぐる問題です。家族関係を理由に、原口新五市長や故・原口和人氏の責任へ広げることはできません。
ただし、久留米市長と地元選出県議が兄弟であり、その父も元県議、兄も元市議だったという構造は残ります。道路、河川、防災、産業政策のように市と県が共同で動く課題では、市政と県政の距離を見ることも必要です。
原口家は、久留米の政治をたどる入口である
原口家の歴史は、公開資料で確認できる範囲では原口久人氏から始まります。
久人氏は福岡県議会副議長を務め、社会福祉法人の設立にも理事として加わりました。その後、和人氏は久留米市議、剣生氏は市議から県議、新五氏は市議会議長から久留米市長へ進みました。次の世代には、国会議員秘書を務めた人物もいます。
これは、単に父の一議席を息子が受け継いだだけの話ではありません。市議会、県議会、市長、政党県連、県政団体、国政秘書へと、活動の場所を変えながら続いてきた政治家の家です。
同時に、久人氏以前の家系や家業は分からず、テキ屋や露店商だったという話にも裏付け資料はありません。
これが、現在書ける原口家の歴史です。
久留米市政、福岡県政、国政選挙を含む全体像は、久留米の政治を読むにまとめています。

