筑後国府を知っていますか?
筑後国府跡は久留米市合川町にありますが、ほぼ空き地で、ぼんやりしていると気づきません。
多分、久留米市民でも筑後国府跡と知らずに素通りしていることでしょう。
今回は、そんな現在の筑後国府跡を紹介します。
久留米市合川町にある筑後国府跡の現在!?石碑と案内板だけの空き地
そもそも筑(現・福岡)の国を「前」と「後」にわけて、筑前と筑後ができました。他の九州の県でも同じで、豊(現・大分)の国を「前」と「後」にわけ豊前と豊後、肥(現・熊本と佐賀)の国を「前」と「後」にわけて肥前と肥後になりました。
実際の筑後国府跡を見てみるとわかりますが、お隣の肥前国府跡は立派な資料館が出来ているのに比べて、驚くほど跡形もありません。
久留米市在住の日本古代史好きにとっては甚だ悲しい気持ちになるほど何もない状態なのです。
ちなみに現在の肥前国府跡は下記の写真です。
現在の筑後国府跡
筑後国府跡の住所は、〒839-0861 福岡県久留米市合川町375です。
Googleマップでも一応出てきます。
ただ現在の筑後国府跡には、何もありません。
ただの原っぱ、空き地といった雰囲気です。
筑後国府跡の石碑と案内板
唯一、ここが筑後国府跡だとわかるものといえば、石碑と案内板しかありません。
まとめ
今回は、現在の筑後国府跡を紹介しました。
筑後国府があったということは、7世紀末からの日本史においては久留米市合川町が筑後国の中心地であった証明といえるでしょう。
それ以前、6世紀には九州vs大和朝廷の磐井の乱があり、合川町の隣町である現在の御井町が激戦地となっています。
さらに御井町には、筑後一宮・高良大社もあります。
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