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蔵内勇夫の全選挙記録|1983年の落選から10期連続当選、7回の無投票まで

蔵内勇夫全選挙記録 まちと政治
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福岡県議会議員の蔵内勇夫氏は、1987年の初当選から2023年まで10期連続で当選しています。

ただし、「10期連続当選」という言葉だけでは、その間に何回の選挙戦が行われ、どれだけの票を得てきたのかは分かりません。

福岡県選挙管理委員会などの公的記録をたどると、蔵内氏が県議選に挑んだのは1983年から2023年までの全11回です。

そのうち、実際に投票が行われたのは1983年、1987年、2003年、2023年の4回で、残る7回は無投票でした。

選挙記録の全体像は、次のようになります。

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蔵内勇夫氏の全選挙記録一覧

結果党派蔵内氏の得票得票率投票率対抗候補と得票1位との票差
1983年落選無所属9,296票37.8%85.15%牛島巖 10,038票/岡昭寿 4,815票/内野じゅんいち 460票−742票
1987年当選(1期)無所属15,058票59.5%84.71%牛島巖 10,255票+4,803票
1991年無投票当選(2期)無所属なし
1995年無投票当選(3期)自由民主党なし
1999年無投票当選(4期)自由民主党なし
2003年当選(5期)自由民主党14,917票75.2%55.09%おおぎ敏彦 4,922票+9,995票
2007年無投票当選(6期)自由民主党なし
2011年無投票当選(7期)自由民主党なし
2015年無投票当選(8期)自由民主党なし
2019年無投票当選(9期)自由民主党なし
2023年当選(10期)自由民主党9,889票54.6%45.82%北島一雄 8,237票+1,652票

※得票率は、各候補の得票数を有効投票数で割り、小数第2位を四捨五入したものです。無投票の年は投票自体が行われていないため、得票数、得票率、投票率はありません。候補者名は記事内で用いている表記に統一し、2023年の北島一雄氏は届出名「北島いちお」です。公的資料では蔵内氏の姓に旧字体の「藏」が使われる場合がありますが、本記事ではサイト内の表記に合わせて「蔵内」とします。

1983年、最初の県議選は742票差で落選

蔵内氏が初めて福岡県議選に立候補したのは1983年です。当時29歳で、党派は無所属、職業は国会議員秘書と記録されています。

筑後市選挙区は定数1に対して4人が立候補しました。結果は、現職の牛島巖氏が1万38票で当選し、蔵内氏は9,296票でした。両者の差は742票です。

ほかに、岡昭寿氏が4,815票、内野じゅんいち氏が460票を獲得しています。蔵内氏の得票率は37.8%、投票率は85.15%でした。

この時点で、現在の「10期連続当選」につながる地盤が完成していたわけではありません。蔵内氏は最初の選挙で、すでに議席と事業基盤を持っていた現職に敗れています。牛島氏の経歴と蔵内氏との関係は、牛島巌とは何者だったのか|筑後市議から県議へ、牛島家の事業基盤を築いた人物で詳しく整理しています。

また、蔵内氏が政治家になる前の経歴や旧姓については、山口勇夫から獣医師、蔵内家、政治家になるまでをご覧ください。

1987年、同じ牛島巖氏を破って初当選

4年後の1987年、蔵内氏は再び無所属で立候補しました。この選挙は、現職の牛島氏との一騎打ちです。

蔵内氏は1万5,058票を獲得し、1万255票だった牛島氏を4,803票差で破りました。得票率は59.5%で、これが県議初当選です。

1983年から1987年にかけて、蔵内氏の票は5,762票増えました。一方、牛島氏の票は217票の増加にとどまっています。投票率も85.15%から84.71%へ0.44ポイント下がっただけでした。

1983年にほかの2候補が得た票は合計5,275票で、1987年には候補者が2人に絞られています。この候補者構成の変化が蔵内氏の得票増に影響した可能性はあります。

1991年から1999年まで3回連続の無投票

初当選後の1991年、1995年、1999年は、いずれも立候補者が蔵内氏1人だけで、無投票当選となりました。

選挙記録上の党派は、1991年が無所属、1995年と1999年が自由民主党です。したがって、公的な立候補記録で見る限り、無所属から自民党へ表記が変わったのは1991年選挙と1995年選挙の間です。

無投票当選は「100%の票を獲得した」という意味ではありません。有権者による投票が行われず、候補者を比較して選ぶ機会がなかったということです。

2003年、16年ぶりの選挙戦で得票率75.2%

2003年は、1987年以来16年ぶりに筑後市選挙区で選挙戦が行われました。

自民党現職の蔵内氏に対し、無所属新人のおおぎ敏彦氏が立候補しました。蔵内氏は1万4,917票、おおぎ氏は4,922票で、票差は9,995票です。

蔵内氏の得票率は75.2%でした。投票が行われた4回のうち、得票率、票差ともに蔵内氏にとって最も大きな勝利です。一方、投票率は55.09%で、1987年の84.71%から29.62ポイント低下しました。

2007年から2019年まで4期連続の無投票

2007年、2011年、2015年、2019年は、再び蔵内氏以外の立候補者がなく、4期連続の無投票当選となりました。

このため、筑後市選挙区では2003年から2023年まで、20年間にわたって県議選の投票が行われませんでした。

1991年から1999年までの3回を合わせると、蔵内氏の10回の当選のうち7回が無投票です。

2023年、20年ぶりの選挙戦は1,652票差

2023年、元筑後市副市長の北島一雄氏が無所属で立候補し、筑後市選挙区では20年ぶりに投票が行われました。

結果は、蔵内氏が9,889票、北島氏が8,237票でした。蔵内氏が1,652票差で10期目の当選を果たしましたが、得票率は54.6%で、北島氏も45.4%を獲得しています。

これは、蔵内氏が勝った3回の選挙戦のうち、最も低い得票率で、最も小さい票差です。2003年の得票率75.2%と比べると、20.6ポイント低下しています。

ただし、2003年と2023年では候補者、人口構成、争点、政治状況が異なります。得票率の低下だけを理由に、蔵内氏の支持が同じ割合で失われたと断定することはできません。

一方で、対抗候補が出ると、有効投票の45.4%が蔵内氏以外の候補に投じられたことは事実です。無投票の期間には見えなかった異論が、2023年には票として表れたと見ることができます。

無投票が長く続いた背景や、有権者に選択肢が示されないことの意味については、20年間無投票だった筑後市と「選べない」県議選で詳しく検証しています。

数字から分かる3つのこと

1.10期連続当選のうち、投票で勝ったのは3回

蔵内氏は1987年から10期連続で当選しています。しかし、その内訳は選挙戦による当選が3回、無投票当選が7回です。

したがって、「10回の選挙戦に勝ち続けた」のではありません。

長期在職の事実と、投票によって支持が確認された回数は分けて見る必要があります。

2.選挙戦ごとの得票率には大きな幅がある

蔵内氏の得票率は、初挑戦の1983年が37.8%、初当選の1987年が59.5%、2003年が75.2%、2023年が54.6%でした。

最初は落選し、その後は大差で勝った時期があり、直近では接戦になっています。

「一貫して圧倒的だった」とまとめるより、選挙ごとの違いを見る方が実態に近いといえます。

3.投票率は40年間で39.33ポイント低下

投票率は1983年の85.15%から、2023年には45.82%へ下がりました。差は39.33ポイントです。

ただし、約40年間の社会状況や有権者構成の変化があるため、この低下を蔵内氏個人や無投票だけの影響とみなすことはできません。ここで確認できるのは、実際に選挙戦が行われた年の投票率が長期的に下がっているという事実までです。

2027年県議選に向けた動き

2026年8月8日時点では、元県議・牛島巖氏の息子である牛島慶二郎氏が、2027年春の福岡県議選に筑後市選挙区から立候補する意向を表明しています。

一方、テレビ西日本が2026年7月30日に報じた時点で、蔵内氏は次回選挙への態度を明らかにしていません。そのため、現段階で「蔵内氏と牛島氏の一騎打ちになる」とは断定できません。

仮に蔵内氏が立候補すれば、1987年以来40年ぶりに、蔵内氏と牛島家の候補が同じ議席を争う構図になります。

牛島慶二郎氏の経歴と出馬表明については、牛島慶二郎とは何者なのかで詳しく紹介しています。

まとめ

蔵内勇夫氏の県議選記録は、1983年の落選1回と、1987年から2023年までの10期連続当選です。

その10回の当選を分けると、選挙戦での当選が3回、無投票当選が7回でした。全11回の挑戦のうち、投票が行われたのは4回だけです。

長期在職は重要な事実ですが、それだけで各時点の有権者の支持の強さまで説明することはできません。

落選、大差での勝利、長期の無投票、そして2023年の接戦を同じ時間軸に並べることで、蔵内氏の選挙基盤がどのように変化してきたのかが見えてきます。

蔵内氏の経歴、議会や業界団体での役職については、蔵内勇夫とは何者かをご覧ください。

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