久留米の水害は、近年だけの問題ではない。
筑後川とともに発展してきた久留米は、古くから洪水や浸水と向き合ってきた地域である。
農地を潤し、交通や暮らしを支えた筑後川は、同時に大雨のたびに流域へ大きな被害をもたらしてきた。
この記事では、明治以前の洪水記録から、明治以降の大水害、そして現代の内水氾濫まで、久留米と筑後川の水害史を時系列で整理する。
筑後川は何度も洪水を起こした
筑後川流域では、古くから多くの洪水記録が残されている。
一番古い記録では、806年に太宰府管内で水害とかんばつがあり、筑後国の田租が免除されたとされる。水害が農地や税にまで影響していたことがわかる。
また、1573年から1889年までの316年間には、筑後川流域で183回の洪水記録がある。単純に見れば、2年に1回近い頻度で洪水が起きていたことになる。
特に江戸時代の筑後川は、久留米藩の暮らしや農業に大きな影響を与えた。
主な被害としては、次のようなものがある。
・1702年、5月から8月までに洪水が32回発生
・1732年、大雨洪水と飢饉が重なり久留米藩に大きな被害
・1866年、久留米城下が浸水
この時代の水害は、単に家が浸水するだけではなかった。田畑が荒れ、収穫が減り、藩の財政や人々の暮らしに直結した。
久留米は筑後川の恵みを受けながら、同時にその水害にも苦しんできたのである。
以下、わかりやすく年表で整理する。
久留米と筑後川の水害史・年表
| 時期 | 主な出来事 |
|---|---|
| 806年 | 太宰府管内で水害とかんばつ。筑後国の田租が免除された記録がある |
| 1573年〜1889年 | 筑後川流域で183回の洪水記録。平均すると2年に1回に近い頻度 |
| 1702年 | 5月から8月までに洪水が32回発生。久留米藩にも大きな損耗 |
| 1732年 | 大雨洪水、不順天候、蝗害、飢饉が重なり、久留米藩に大きな被害 |
| 1866年 | 洪水により久留米城下が浸水 |
| 1889年 | 明治22年洪水。久留米で死者52人、家屋被害48,908戸 |
| 1921年 | 大正10年洪水。筑後川三大洪水の一つ |
| 1953年 | 昭和28年筑後川大水害。流域全体に甚大な被害 |
| 2018年以降 | 久留米市内で内水氾濫による浸水被害が相次ぐ |
| 現代 | 筑後川本流の氾濫だけでなく、排水能力や支川の水位上昇による内水氾濫が課題 |
明治以降|近代治水と筑後川三大洪水
明治に入ると、筑後川の治水は藩ごとの対応から、国による近代的な河川改修へと移っていく。
しかし、治水が進み始めても、大きな洪水は続いた。
特に重要なのが、筑後川三大洪水と呼ばれる次の3つである。
・明治22年洪水
・大正10年洪水
・昭和28年筑後川大水害
明治22年、1889年の洪水では、久留米で死者52人、家屋被害48,908戸という大きな被害が出た。久留米市が市制を施行した年でもあり、近代都市として歩み始めた久留米が、同時に大きな水害に見舞われたことになる。
大正10年、1921年にも筑後川で大きな洪水が発生した。この洪水も、筑後川改修を進める契機となった。
そして最大級の記憶として残るのが、昭和28年、1953年の筑後川大水害である。筑後川流域では多数の死者、家屋被害、床上・床下浸水が発生し、被災者は約54万人規模に及んだとされる。
昭和28年水害は、久留米と筑後川の関係を考えるうえで避けて通れない出来事である。
現代|水害は「内水氾濫」へ変わってきた
昭和28年以降、筑後川本流の堤防整備や河川改修は進んだ。
その結果、昭和28年のような大規模な本流氾濫は、久留米周辺では長く抑えられてきた。
ただし、それで久留米の水害が終わったわけではない。
近年の久留米で問題になっているのは、筑後川本流の破堤ではなく、内水氾濫である。
内水氾濫とは、街に降った雨が排水しきれず、道路や住宅地にあふれる現象である。筑後川の水位が上がると、支川や排水路の水が流れにくくなり、市街地に水がたまりやすくなる。
平成30年以降、久留米市内では大雨による浸水被害が相次いだ。
城島、三潴、北野、善導寺、東合川など、市内各地で道路冠水や建物への浸水が発生している。
つまり、久留米の水害は「川があふれる災害」から、「街の中に水がたまる災害」へと形を変えてきたのである。
現代の久留米市の状況については、久留米で浸水しやすい町はどこかで詳しく解説している。
久留米の水害史から見えること
久留米の水害史を時系列で見ると、次の流れが見えてくる。
・明治以前は、筑後川の洪水が農地や藩の暮らしに直結していた
・明治以降は、近代治水が進む一方で、大洪水が繰り返された
・昭和28年水害以降、本流の大規模氾濫は抑えられてきた
・現代では、内水氾濫が大きな課題になっている
水害は、過去の話ではない。
形を変えながら、現在の久留米にも続いている。
久留米は筑後川によって発展した街である。
しかし同時に、筑後川と周辺の水の流れに影響され続けてきた街でもある。
現在の浸水対策やハザードマップを見るときも、この長い水害史を知っておくことで、久留米という街の見え方は少し変わる。
町ごとの浸水リスクを確認したい方は、こちらの記事もあわせてご覧ください。
