久留米の歴史と聞くと、多くの人は江戸時代の久留米藩と有馬家を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし、それよりも前の時代。鎌倉時代から戦国時代にかけて、この地域で大きな勢力を持っていた武家がいました。
それが草野氏です。
現在の久留米市草野町には、その歴史を伝える草野歴史資料館があります。
この資料館は単なる地域資料館ではありません。
展示を見ていくと、久留米の中世史そのものが見えてきます。
今回は、草野歴史資料館を手がかりに、久留米の中世を支えた草野氏の歴史を見ていきたいと思います。
草野氏とは何者だったのか
久留米の武家といえば、江戸時代の久留米藩主である有馬家が有名です。しかし有馬家が久留米に入ったのは江戸時代のことです。
それ以前、この地域を長く治めていたのが草野氏でした。
草野氏は、もともと現在の佐賀県にいた高木氏の一族とされています。平安時代末期、鎌倉時代が始まる頃に草野の地へ移り住み、そこから草野姓を名乗るようになったといわれています。
その後、鎌倉時代から南北朝時代、さらに戦国時代にかけて、草野氏は筑後地方の有力武士として勢力を持つようになります。南北朝時代には、肥後の菊池氏とともに南朝側についたことでも知られています。
こうして見ると、草野氏は単なる地方の豪族ではなく、筑後地方の政治と軍事に深く関わった武家だったことがわかります。
草野氏の城「発心城」
現在の草野町には、かつて発心城(ほっしんじょう)と呼ばれる城があったとされています。
つまり、久留米城が中心となる以前、この地域では草野町が政治拠点のひとつだった可能性があります。
しかし戦国時代の争いのなかで、草野氏の勢力は次第に弱まっていきます。
やがて筑後地方は、大友氏や島津氏などの勢力争いの舞台となり、草野氏は歴史の表舞台から姿を消すことになります。
草野歴史資料館とは
そんな草野氏の歴史を今に伝えているのが、草野歴史資料館です。
草野町の歴史や、筑後地方の歴史資料などが展示されています。特に興味深いのは、草野氏に関する資料や歴史の解説です。
久留米の歴史を知るうえで、江戸時代以前の情報は意外と少ないものです。
草野歴史資料館は、その「空白の時代」を知ることができる場所といえるでしょう。
入場料は無料で、気軽に立ち寄ることができます。
明治の銀行建築を利用した資料館
現在の草野歴史資料館の建物は、もともと明治時代の草野銀行の建物だったそうです。
洋風のデザインで、どこかモダンな雰囲気があります。
中世の武家の歴史を学ぶ場所が、明治の銀行建築の中にある。その組み合わせも、この資料館の面白いところです。

草野氏と高良大社の関係
久留米の歴史を語るとき、もう一つ欠かせない存在があります。
それが筑後一宮の高良大社です。
▶ 高良大社の記事
もし草野氏が数百年にわたり久留米地方を治めていたのであれば、高良大社とまったく無関係だったとは考えにくいところです。
高良大社の祭神については現在も謎が多く、さまざまな説があります。
今回、草野歴史資料館を訪れて気になったのは、草野氏のルーツが高木氏であるという点です。
高良大社を考えるとき、高良山の麓にある高樹神社の存在も気になります。
▶ 高樹神社の記事
「高木」と「高樹」。
もちろん偶然の可能性もありますが、氏族と信仰の関係を考えると、草野氏の統治と地域の祭祀のあいだに何らかのつながりがあった可能性も想像できます。
久留米の歴史は、まだ解明されていない部分も多いのです。
まとめ
草野歴史資料館は、単なる地域資料館ではありません。
そこには、久留米の中世を支えた草野氏の歴史が展示されています。
江戸時代の久留米藩よりも前、この地域にはどんな武家がいて、どのように土地を治めていたのか。それを知ることで、久留米という町の歴史はぐっと立体的に見えてきます。
久留米の町は、古代・中世・近世と長い歴史の積み重ねの上に成り立っています。草野町を歩くと、そんな歴史の痕跡を今でも感じることができます。
【久留米の歴史を知りたい方へ】
▶ 高良山の古社・高樹神社とは?高良大社の原点とも言われる神社
【草野町を散策するなら】
草野歴史資料館の周辺には、久留米の自然や神社を楽しめるスポットもあります。
草野エリアを訪れた際には、あわせて立ち寄ってみてください。


