久留米大学は、一見すると「キャンパスが分かれている大学」に見える。
医学部は旭町、文系学部は御井、そして附設中学・高校も御井にある。
なぜ同じ大学なのに、これほど離れているのか。
その理由は単純な敷地不足ではない。
久留米大学という組織が「どのように生まれ、どのように拡張してきたか」という歴史そのものにある。
本記事では、旭町と御井の違い、そして附設中学・高校の位置まで含めて、その構造を解き明かす。
この記事でわかること
久留米大学のキャンパス配置とは
旭町キャンパス(医学部)
📍久留米市旭町
- 医学部(医学科)
- 医学部(看護学科)
- 医学部(医療検査学科)
- 久留米大学病院
ここは単なるキャンパスではなく、医療拠点そのものである。
御井キャンパス(文系学部)
📍久留米市御井町
- 文学部
- 法学部
- 経済学部
- 商学部
- 人間健康学部
いわゆる「一般大学としての久留米大学」は、こちらに集約されている。
附設中学・高校(御井)
久留米大学附設中学校・高等学校
- 中高一貫校(全国屈指の進学校)
- 御井キャンパス周辺に位置
文系学部と同じエリアにあるのが特徴だ。
久留米大学は「医学から始まった大学」である
この配置を理解する鍵はここにある。
久留米大学は、最初から総合大学だったわけではない。
医学部から始まり、後から外側に拡張していった大学である。
なぜ医学部は旭町にあるのか
病院と一体である必要がある
医学部は
- 教育(講義)
- 研究
- 臨床(実習)
この3つが不可分である。
つまり「大学」ではなく「医療拠点」として成立している。
そのため、都市の中心部である旭町に固定された。
なぜ文系学部は御井に移ったのか
拡張できなかった旭町
旭町は
- 市街地の中心
- 用地が限られている
- 病院機能が優先
これ以上広げられない。
御井は“後から作られた教育エリア”
御井は
- 広い土地が確保できる
- 郊外で静か
- 学生数の多い学部に対応できる
その結果、文系学部は御井に集約された。
附設中学・高校はなぜ御井にあるのか
ここが見落とされがちだが重要なポイント。
附設は医学部より後にできた
久留米大学の発展の中で
- 医学部(起源)
- → 附設高校(戦後に設立)
- → 文系学部(拡張)
という順番で増えていった。
中高一貫校に必要なのは“環境”
附設に必要なのは
- グラウンド
- 静かな学習環境
- 大規模な校地
これは旭町では不可能。
まとめ:久留米大学は「分かれている」のではなく「積み重なっている」
一見バラバラに見えるキャンパス配置は、実はこういう構造だ。
- 旭町:医学という“原点”
- 附設:教育機関としての拡張
- 御井:総合大学化の完成形
久留米大学は、一つの場所にまとまらなかったのではない。
時代ごとに必要な機能を、その都度最適な場所に置いた結果、現在の形になったのである。
つまり結果として
- 医学部=都市型(旭町)
- 附設・文系=郊外型(御井)
という棲み分けが生まれた。
久留米大学医学部の歴史については、こちらの記事で詳しく解説しています。
久留米市が推進している久留米の再開発については、こちらの記事で分析しています。





