評論家やコメンテーターとして、テレビやラジオで長く活躍してきた宮崎哲弥。
政治哲学や仏教思想、生命倫理から犯罪研究、SF、サブカルチャーまで、その守備範囲は非常に広い人物です。
全国的には「評論家・宮崎哲弥」として知られていますが、実は福岡県久留米市の出身です。
しかも、その学歴をたどると一直線に有名大学へ進んだわけではありません。
少年時代には不登校を経験し、中学卒業後はいったん就職。その後、1年遅れで現在の祐誠高校へ進み、早稲田大学、さらに慶應義塾大学へと進む、かなり変則的な道を歩んでいます。
今回は、宮崎哲弥とはどのような人物なのか。久留米で過ごした少年時代から、その後の評論活動までをたどります。
宮崎哲弥は福岡県久留米市出身
宮崎哲弥は1962年10月10日、福岡県久留米市生まれです。
公式プロフィールでも「1962年、福岡県久留米市生まれ」と紹介されており、慶應義塾大学文学部社会学科を卒業。政治哲学、仏教思想、生命倫理、犯罪研究、SF批評、サブカルチャー分析などを中心に評論活動を続けています。
テレビのコメンテーターという印象が強い人も多いでしょうが、本来はかなり幅広い領域を扱う評論家です。
その知識の源流をたどっていくと、久留米で過ごした少年時代に行き着きます。
医師だった祖父と大量の本に囲まれて育った
宮崎哲弥の少年時代を考えるうえで重要なのが、同居していた祖父の存在です。
宮崎本人が2026年の講談社のインタビューで語ったところによると、祖父は医師であり、同時にかなりの読書家でした。
自宅にはさまざまなジャンルの本がそろっており、書店が月刊誌だけでなく新刊や話題の本まで選んで届けていたといいます。
現在の宮崎哲弥といえば、政治や宗教だけでなく文学、SF、社会問題まで話題が飛び回る「博覧強記」の評論家という印象があります。
しかし、その土台は東京の大学へ進んでから突然できたものではありませんでした。
久留米の自宅にあった祖父の本棚が、その原点の一つだったのです。
中学生ですでに「語彙ノート」を作っていた
宮崎は子どものころから古典文学やデカルトなどの思想書、星新一、小松左京などを読んでいたと振り返っています。
さらに中学生になると、自分が知らなかった言葉を書き留める「語彙ノート」を作り始めました。
漢字、読み方、意味、用例などを辞書から書き写し、新しく出会った言葉を集めていったといいます。後年まで続いたこの習慣によって、集めた言葉は1万5000語を超えました。
2022年に出版された『教養としての上級語彙 知的人生のための500語』にも、この少年時代から続く言葉への関心がつながっています。
興味深いのは、宮崎が当時から評論家を目指していたわけではないことです。
中学生のころには海洋探検家ジャック・クストーに憧れ、海洋生物学者になりたいと考えていたことも、本人がインタビューで明かしています。
学校には行かなかったが、本は読んでいた
一方、学校生活は順調ではありませんでした。
宮崎の経歴を紹介した資料によれば、小学校高学年ごろから不登校となり、中学校でもほとんど授業に出ない時期がありました。
中学卒業後も、そのまま高校へ進学したわけではありません。
いったん就職して社会人生活を送り、その後仕事を辞め、1年遅れで高校へ進学しています。
つまり宮崎の少年時代には、
「学校には行かない」
という側面と、
「大量の本を読み、言葉を集め続ける」
という側面が同時に存在していました。
一般的な学校教育のコースから外れながら、別の場所では猛烈に知識を吸収していたことになります。
1年遅れで久留米工業大学付属高校へ
宮崎が進学したのが、当時の久留米工業大学付属高等学校です。
現在の祐誠高校にあたります。
学校の沿革を見ると、1962年に「久留米工業高校」として開校。1976年に「久留米工業大学附属高校」へ改称し、2005年から現在の「祐誠高等学校」となりました。
宮崎は1962年生まれで、1年遅れで高校へ進学したとされるため、在学したのは1970年代末から1980年代初頭とみられます。
当時の久留米工大附高には工業系学科だけでなく、1974年に設置された普通科もすでに存在していました。
ただし、宮崎哲弥が普通科だったのか、それとも工業系の学科だったのかについては、今回確認した学校資料や本人の公式プロフィールでは特定できませんでした。
なお、現在につながる普通科の特進コースが設置されたのは1990年です。宮崎の在学時代にはまだありません。
そのため、「進学校の特進コースから早稲田へ進んだ」という経歴ではないことは分かります。
久留米市内には祐誠高校のほかにも、明善高校や久留米大学附設高校、南筑高校、久留米高校などさまざまな高校があります。
久留米から早稲田大学へ進学
久留米工業大学付属高校を卒業した宮崎は、早稲田大学教育学部へ進学します。
不登校、中学卒業後の就職、1年遅れでの高校進学という経歴を考えると、かなり大きな転換です。
しかし、早稲田大学を卒業することはありませんでした。
過度の飲酒で体調を崩したことなどから早稲田を中退したとされています。
その後、改めて慶應義塾大学文学部社会学科へ進学します。
こちらは卒業し、さらに慶應義塾大学法学部法律学科へ学士入学しましたが、法学部は中退しています。
最終学歴は慶應義塾大学文学部社会学科卒業となっています。
一本道というより、進学と中退を繰り返しながら自分の関心を探していった学生時代だったことが分かります。
評論家・宮崎哲弥へ
その後、宮崎は評論活動を本格化させます。
政治哲学や宗教思想だけでなく、生命倫理、犯罪研究、SF、サブカルチャーなど幅広い分野を扱い、テレビやラジオでも知られる存在となりました。
新聞三社連合の論壇時評や朝日新聞の書評委員なども担当しています。
大学では中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授などを経て、相愛大学客員教授を務めています。2020年には第51回星雲賞ノンフィクション部門を受賞しました。
著書には『教養としての上級語彙 知的人生のための500語』『いまこそ「小松左京」を読み直す』『仏教論争 「縁起」から本質を問う』などがあります。
少年時代に祖父の本棚で小松左京を読み、中学生から語彙を集めていた人物が、数十年後には小松左京について一冊の本を書き、語彙そのものについて本を書くことになりました。
久留米時代と現在の評論活動は、意外なほど一直線につながっています。
母校・祐誠高校で記念講演も
宮崎と久留米との縁は、高校卒業とともに切れたわけではありません。
2011年11月5日、祐誠高校の創立50周年記念式が久留米市の石橋文化会館で開催され、宮崎哲弥が記念講演を行っています。
学校公式の沿革にも「記念講演(宮崎哲弥氏)」と記録されています。
かつて1年遅れで入学した母校の50周年という節目に、評論家となった卒業生が講演者として戻ってきたことになります。
宮崎哲弥の「知識の原点」は久留米にあった
宮崎哲弥の経歴を学歴だけ並べると、
中学卒業後に就職
↓
1年遅れで久留米工業大学付属高校
↓
早稲田大学教育学部
↓
中退
↓
慶應義塾大学文学部社会学科
↓
卒業
↓
慶應義塾大学法学部法律学科
↓
中退
というかなり変則的なものになります。
しかし、その経歴だけでは宮崎哲弥という人物は見えてきません。
学校へ行けなかった少年が、久留米の自宅では医師だった祖父の本棚を読み漁り、中学生のころから知らない言葉をノートに集め続けていました。
そして高校へ戻り、やがて早稲田、慶應へ進み、政治、宗教、文学、SF、社会問題を横断する評論家になりました。
現在の宮崎哲弥を形づくったものの一つは、大学の講義よりずっと前、久留米で過ごした少年時代にあったのかもしれません。
宮崎哲弥の「言葉」を知る一冊
宮崎哲弥は、中学生のころから知らない言葉をノートに書き留め、長年にわたって語彙を集め続けてきました。
その積み重ねが一冊の本になったのが、『教養としての上級語彙 知的人生のための500語』です。
久留米で本に囲まれて育った少年が、どのように言葉を集め、考え、現在の評論活動へとつなげていったのか。
宮崎哲弥という人物を、テレビとは少し違った角度から知ることのできる一冊です。
