弘化谷古墳を知っていますか?
弘化谷古墳は、国指定史跡・八女古墳群の1つになります。
順路としては、こふんピア広川からはじまり、そのまま歩いて石人山古墳を見て、そのまま歩いて弘化谷古墳が登場します。
それでは、早速、弘化谷古墳を紹介します。
弘化谷古墳とは
まず弘化谷古墳について簡単に紹介しましょう。
所在地
福岡県八女郡広川町大字広川字弘化谷です。
築造年代
6世紀中ごろ(古墳時代後期)です。
形状
八女古墳群で最大の円墳(円錐形)です。
墓主
詳細は不明ですが、筑紫君磐井の子の葛子(くずこ)とほぼ同世代の磐井一族と関連する人物だろうと言われています。
特徴
古墳内部に石屋形を設置し、全体を薄く赤く地塗りした双脚輪状文を多く含む壁画が描かれています。
※写真はこふんピア資料館に展示されているレプリカになります。
写真でつづる弘化谷古墳
それでは、写真で弘化谷古墳を見ていきましょう。
石人山古墳の階段を下りて、矢印の方へ向かいます。
のどかな山道を歩いて行きます。
しばらくすると、左手に池が現れます。
このような階段が現れます。
上だそうです。
階段を上ると駐車場が現れました。
※歩くのが苦手な方は、クルマで近くまで行けます。
弘化谷古墳が見えました。
綺麗な芝生で覆われています。
ぐるっと回って反対側に円墳の上にあがれる階段がありました。
上ってみます。
一番上は円形になっています。
古墳の上から、町が一望できます。
この眺めから、城の天守閣のような印象を受けました。
階段をおりて、堀の後のような道をぐるっと回ります。
ここが遺体が安置されていた石室で、壁画が描かれているところです。
残念ながら、扉が閉まっていて実物を見ることはできませんでした。
※毎年2回(4月と11月)に一般公開される日があるそうです。
まとめ
今回は、弘化谷古墳を紹介しました。
福岡県の八女古墳群は、磐井一族の古墳群だろうと思われます。
それにしても一体、磐井一族を中心にした筑後の国(当時の福岡)の人々は、5世紀~6世紀にかけてどのような生活を送っていたのでしょうか?
大和朝廷との関係は?
九州の勢力図は?
謎が謎を呼ぶ古墳群と言えるでしょう。
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