久留米出身の有名人といえば、松田聖子やチェッカーズを思い浮かべる人は多いかもしれません。
全国的な知名度でいえば、彼らはまさに久留米が生んだスターです。
しかし久留米には、もう一人、忘れてはいけない音楽人がいます。
それが、シーナ&ロケッツの鮎川誠です。
鮎川誠は、テレビのバラエティ番組で広く知られたタイプの芸能人ではありません。ヒットチャートを何度も席巻したポップスターとも少し違います。
けれど、日本のロック史を語るうえでは、決して外すことのできない人物です。
久留米から出たロックスター。
そう呼ぶにふさわしい存在が、鮎川誠でした。
鮎川誠は久留米出身のギタリスト
鮎川誠は、1948年に福岡県久留米市で生まれました。
福岡県久留米市生まれ、九州大学農学部卒、シーナ&ロケッツのリーダーであり、ボーカル・ギタリストとして活動した人物です。
若いころから音楽に向かい、1970年から1978年までは、福岡を代表するロックバンド「サンハウス」のリードギタリスト、コンポーザーとして活動しました。
その後、1978年に妻のシーナとともにシーナ&ロケッツを結成します。
デビュー曲は「涙のハイウェイ」。
そして「ユー・メイ・ドリーム」がヒットし、シーナ&ロケッツは全国的に知られる存在になっていきました。
メジャーヒットは「ユー・メイ・ドリーム」
鮎川誠を一般的に語るうえで、もっとも知られている曲は、シーナ&ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」でしょう。
この曲は、シーナ&ロケッツの代表曲として知られています。作曲には鮎川誠と細野晴臣が関わり、JALのCMソングとしても使われました。
ただし、鮎川誠は「国民的大ヒット曲を何曲も持つスター」というより、ロックファンの中で深く支持され続けた人物です。
松田聖子やチェッカーズのように、誰もが口ずさめる代表曲で時代を塗り替えた存在とは違います。
鮎川誠のすごさは、売上枚数だけでは測れません。
ギターを持ち、ステージに立ち、バンドを続け、日本のロックの中に一本の芯を通したこと。
そこに、鮎川誠という人物の大きさがあります。
サンハウスからシーナ&ロケッツへ
鮎川誠を語るとき、シーナ&ロケッツだけでなく、サンハウスの存在も重要です。
サンハウスは、福岡のロックシーンを語るうえで欠かせないバンドです。鮎川誠はそのリードギタリストとして活動し、すでにこの時期からロックの世界で存在感を放っていました。
その後、妻のシーナとともにシーナ&ロケッツを結成します。
シーナの歌声と鮎川誠のギター。
この組み合わせが、シーナ&ロケッツというバンドの核になりました。
夫婦であり、バンドメンバーであり、ロックを生きる同志でもある。
その関係性もまた、鮎川誠を語るうえで外せない部分です。
久留米が生んだ「ロックの系譜」
久留米出身の音楽人というと、どうしても松田聖子やチェッカーズの印象が強くなります。
それは当然です。
松田聖子は日本のアイドル史に残る存在であり、チェッカーズも1980年代を代表するグループです。
しかし、久留米の音楽史をそれだけで終わらせるのは、少しもったいない気がします。
久留米には、ポップスの光だけでなく、ロックの影もありました。
鮎川誠は、その代表的な人物です。
テレビの中心にいたスターではなく、ライブハウスやステージの上で鳴り続けた人。
派手な説明よりも、ギターの音で語った人。
そういう人物が久留米から出ていたことは、もっと知られていいはずです。
石橋凌とのつながりで見る久留米のロックスター
久留米出身のロック系人物として、鮎川誠と並べて考えたいのが石橋凌です。
石橋凌は現在、俳優としての印象が強い人物です。
しかし、もともとはロックバンドARBのボーカリストでした。
つまり久留米には、松田聖子やチェッカーズのようなポップスターだけでなく、鮎川誠や石橋凌のようなロックスターもいたことになります。
この見方をすると、久留米出身の芸能人の風景が少し変わります。
久留米は、ただ有名人を出した街ではありません。
アイドル、ポップス、ロック、俳優。
いくつもの表現者を生んできた街でもあります。
鮎川誠は、その中でも特に、ロックの側から久留米の名前を日本の音楽史に刻んだ人物だったといえるでしょう。
最後までステージに立ったロックンローラー
鮎川誠は、2023年1月29日に膵臓がんのため亡くなりました。享年74歳でした。
晩年まで音楽活動を続け、最後までロックンローラーであり続けた人物でした。
鮎川誠の魅力は、単にギターがうまい、バンドが有名だった、ということだけではありません。
生き方そのものがロックだったこと。
そして、そのロックが乱暴なものではなく、どこか優しさを持っていたこと。
そこに、多くの人が惹かれたのではないでしょうか。
まとめ|鮎川誠は久留米出身のロックスターだった
鮎川誠は、一般的な知名度だけで見れば、松田聖子やチェッカーズほど広く知られている人物ではないかもしれません。
しかし、それは鮎川誠の価値が小さいということではありません。
むしろ逆です。
誰もが知るスターではないからこそ、久留米という街の中から掘り起こして語る意味があります。
久留米出身のロックスター。
シーナ&ロケッツのギタリスト。
サンハウスから日本のロック史へ続いた人物。
鮎川誠は、久留米が生んだ音楽人の中でも、特別な場所にいる人です。
松田聖子やチェッカーズが久留米の明るい表通りを照らす存在だとすれば、鮎川誠はアンプの奥で鳴り続けるような存在だったのかもしれません。
派手な看板ではなく、音で残る人。
それが、鮎川誠というロックンローラーでした。
久留米から生まれたロックスターは、鮎川誠だけではありません。
現在は俳優として知られる石橋凌も、もともとはロックバンドARBのボーカリストとして時代を駆け抜けた人物です。
久留米出身のもう一人のロックスターについては、こちらの記事でも紹介しています。
