久留米は終わっているのか。
この問いが浮かんだのは、悲観したからではない。違和感が、はっきりと形を持ったからだ。
物価高対策として支給される一人3000円。そして市長選挙は、立候補者一人による無投票再選。
この二つは偶然ではなく、今の久留米を静かに映し出している。
久留米市の物価高対策は「3000円」だった
久留米市では、全市民を対象に一人あたり3000円の給付金が実施される。
- 食料品
- 電気・ガス
- 日用品
あらゆる物価が上がる中で、3000円は決して生活を支える金額ではない。
「何もしないよりはいい」
その評価に落ち着く、象徴的な金額だ。
なぜ宗像は5000円で、久留米は3000円なのか
同じ福岡県内でも、対応は同一ではない。
宗像市では、全市民に一人5000円の給付が行われる。
この差は、財政力の違いではない。どちらも国の重点支援地方交付金を財源としている。
違いを生んだのは、自治体の政治判断だ。
- 久留米:国の想定額(3000円)に忠実
- 宗像:市の判断で上乗せし、体感を重視
ここに、行政姿勢の差がはっきりと現れている。
無投票で再選した現職市長
今回の久留米市長選挙は、現職の原口新五市長が立候補者一人で再選という結果になった。
投票は行われていない。
これは「圧倒的支持」ではない。
選択肢が存在しなかった結果だ。
原口市長はどの層から支持されているのか
原口市長の支持基盤は、明確な世論調査があるわけではない。だが、これまでの経歴と選挙構造から、傾向は見える。
主な支持層は次の通りだ。
- 高齢者・保守的な安定志向層
- 地元団体・中堅層
- 行政の継続性を評価する層
共通しているのは、「大きな変化を求めていない」という点だ。
支持と沈黙は違う
無投票再選が意味するのは、強い支持ではない。
- 反対が組織されなかった
- 対抗馬が育たなかった
- 「どうせ変わらない」という空気
これは政治的安定ではなく、政治的沈黙だ。
久留米は終わっているのか?
結論から言えば、久留米は終わっていない。
だが、立ち止まっている。
街は機能している。生活は回っている。崩壊しているわけではない。
それでも、
- 3000円で議論が終わる
- 無投票再選が異常と感じられない
- 不満が言葉にならない
この状態は危うい。
街が本当に終わる瞬間
街が終わるのは、人口が減ったときでも、シャッターが閉まったときでもない。
「おかしい」と思っても、誰も言わなくなったときだ。
怒りがない街は、急には壊れない。
だが、何も生まれなくなる。
問題は3000円でも、市長個人でもない
本質はもっと深い。
- 文句はあるが、動かない
- 違和感はあるが、共有しない
- 挑戦は割に合わないと感じている
この空気が、対抗馬の不在を生み、最低限の政策を正解にしている。
まとめ|3000円と無投票再選が示したもの
- 久留米の3000円は「最低限」の選択
- 宗像の5000円は「意思」の表明
- 無投票再選は支持ではなく沈黙
- 久留米は終わっていないが、眠りかけている
久留米は今、分岐点にいる。
このまま静かに管理され続けるのか。それとも、違和感を言葉にし始めるのか。
街の未来を決めるのは、市長でも給付金でもない。
それを「おかしい」と思った人が、何をするかだ。


