「今日は店の出勤がないんだよね」
真依が、そう言った。
それ以上の説明はなかったが、男はその一言で十分だった。
だから、急ぐ理由もなかった。
帰らなければならない理由も、引き止める口実も、必要なかった。
西鉄久留米駅で待ち合わせて、いつもより少し遅い時間に歩き出す。
街は、もう昼の顔をしていない。
でも、夜の店に向かう時間とも違う。
どこにも属さない、中途半端な時間帯だった。
食事をして、ショットバーで少しだけ飲む。
真依は、時計を見なかった。
男も、見なかった。
「このあと、どうする?」
その言葉は、これまで何度も聞いたものだった。
でも今回は、本当に選択肢があった。
「静かなところ、行く?」
男は、そう言った。
真依は少しだけ考えて、頷いた。
「うん」
その返事は、軽くもなく、重くもなかった。
男は一歩、距離をつめた。
触れるつもりはなかったが、真依の手が、わずかに揺れているのが見えた。
指先が、触れた。
避けることも、握ることもしない。
ただ、触れたまま、数秒だけ止まる。
真依は手を引かなかった。
どちらからともなく、もう一度、距離が縮まる。
今度は、はっきりと手を握った。
つづく

